自分が良いと思ったものを信じ本物の音楽を伝えていきたい
有限会社アートーンミュージック
代表取締役
稲垣 欽哉
15歳で音楽業界に入り、CM楽曲やカラオケ音源制作などを経て、現在はプロデューサーとして活躍するアートーンミュージックの稲垣社長。日本の音楽業界の現状やこだわり続ける音楽への思いを伺いました。
シンガーソングライターを志して業界入り
いつしか裏方の仕事に惹かれていった
稲垣 欽哉(いながき きんや)
シンガーソングライターを志して業界入りするも、制作の仕事に数多く携わる。本当に良い音楽を発信したいとの思いから有限会社アートーンミュージックを設立。2013年には音楽プロダクション(株)88エンタテインメントを設立し、中国のテレビやミュージカルで活躍する「苏诗丁(蘇詩丁=su shi ding)」や、堀の中のアイドル「Paix2(ぺぺ)」、日本の音楽業界でファーストコールがかかるボーカリスト「Noriko K」など、数多くのサウンドプロデュースを手がける。
日下部稲垣さんが音楽を好きになったきっかけは何ですか?
稲垣中学受験が終わってテレビを観ていたとき、エルビスプレスリーが汗をかきながらギターを弾いて歌っている姿を見て感動しまして、そこから音楽にはまっていきました。
日下部ギターはそれから学んだのですか?
稲垣当時『平凡』や『明星』の雑誌についてきたコード符を見て、独学でギターを練習しました。その後にバンドをやり始め、15歳の時にシンガーソングライターを志してこの業界に入りました。
そのきっかけを作ってくれたのが、吉田拓郎を育てたエレックレコードの社長で、最初の師匠なのですが、当時レコードを買うと、いつも師匠の名前がプロデューサーとしてクレジットされており、アーティストがデビューして活躍する裏にプロデューサーという存在があることに、とても興味を持ったのを覚えています。
日下部なんとなくわかります。例えるなら、私もAKBのメンバ―になるより、秋元さんになりたいです(笑)。
稲垣プロデューサーだった当時の師匠にどうしても会いたくて、毎日のようにレコード会社に電話をかけていたら、ある日ようやく電話を繋いでもらえて会えることになり、自分の曲を聴いてもらったのがこの業界に入るきっかけです。
日下部なるほど。すぐにデビューという話になったのですか?
稲垣いいえ、最初は作曲家の先生が書き下ろした曲を歌うように言われ、どうしても自分の曲が歌いたくて反発していたら「生意気言うなら曲を書いてみろ」ということになりまして。作詞家の先生から預かった詩に曲をつけたらそれが高く評価され「それだけ書けるならもっと作曲を勉強しなさい」ということで、音大にいく受験勉強をしながら、プロデューサーについて作曲や制作の勉強をさせていただきました。
そのおかげで、18歳のときには制作の仕事で食べていけるようになりましたが、師匠から「学校で勉強するより、現場に入って学ぶ方がいい」と言われ、1年で音大を退学しました。
日下部すごいですね。
稲垣あるとき骨折をして、しばらく仕事が出来なかった時期に“もう一度バンドやりたい”という気持ちが芽生え始め、北島音楽事務所のプロデューサーから「これからはシンガーソングライターとサウンドを作る人が一緒にやる時代がくるから、そういうグループを作ったら?」と提案されて、北島音楽出版のスタジオで5年くらい音楽作りに励みました。
残念ながらデビューはできませんでしたが、当時の音楽会社はバブルの影響で、必要な機材はなんでも揃えてくれましたので、その機材でCMの楽曲をつくる仕事をスタートさせ、1985年にはスタジオを作って、CMの仕事をパッケージで引き受けられる仕組みを作りました。
日下部バブル期の音楽業界はそんな感じだったんですね。
稲垣1990年代になってバブルがはじけると、今まで請け負っていたCM制作の予算も下がってしまい、経営が厳しくなってきました。
ちょうどそのころ通信カラオケがスタートし、カラオケの音源制作の話がありました。最初は仕事の内容もきついしカラオケなんて・・・と思いましたが、ギャラが良かったので始めたところ、これがものすごく当たりまして(笑)。今は2社だけですが、当時はカラオケ通信会社が5~6社あり、これはビジネスになると感じました。
日下部カラオケのメロディを作るのですか?
稲垣CDが出ると決まったら、まだ発売前の段階で音源をもらい、その音源を聴いて譜面を起こし、コンピューターに打ち込むという作業になります。カラオケというのは、生音ではなく、ギターならギターっぽい音源を使って打ち込んでいくのですが、その作業が一人では出来ないほど大忙しで、アシスタントを雇って取り組みました。だいたい6000曲はやったと思います。
日下部すごい数ですね!
稲垣当時のカラオケ配信会社は、とにかくどこよりも早くカラオケ音源を手に入れて配信したいという状況だったので、制作会社を数社立ち上げました。
日下部経営的にも順調だったんですね。
稲垣はい。ただ40歳になって、昔のバンド仲間や自分が育てた人たちが活躍している姿を目にするようになり、“俺は音楽を作っているといえるのか?”という疑問と、自分ももう一度やりたいという気持ちが生まれました。それでカラオケ制作の会社を後輩に譲り、昔の仲間と一緒に立ち上げた会社が、今のアートーンミュージックです。
日下部ホームページを拝見しましたが、音楽へのこだわりの強さを感じました。
稲垣自分達で好きな楽曲を作り、自由にプロデュースができるようになって、とにかく“歌の上手い人”をプロデュースしたくて、友人から杏里のコーラスをしていたNorikoKのお弟子さんを紹介してもらったのですが、帰りにはもう口説いていました(笑)。売れる売れないに関係なく“良いものだけを伝えたい”という想いがあります。
人をプロデュースしてデビューさせるからには、もっとプロダクション的な仕事が必要になると考え、6年前に88エンターテイメントという会社を立ち上げました。
日下部プロダクションは売り込みの営業をする会社という理解でよいでしょうか?
稲垣簡単にいうとそうなります。現在88エンターテイメントには、刑務所の慰問を日本一やっているPaix2(ぺぺ)や、先ほどのコーラスの話に出てきた日本の音楽業界でファーストコールがかかるボーカリストのNoriko K、詩吟日本一のタイトルを持つ林綾香などのアーティストが所属しており、これらのアーティストの原盤や著作権を持っているのがアートーンミュージックです。
例えばコンサートの収益は88エンターテイメントに入りますが、そこで使用した音源などの権利分は、アートーンミュージックに入ってくる形になります。
アートーンミュージックでプロダクションの仕事までやっても良かったのですが、そうなると売上や営業に重きを置くことになってしまい、趣旨から外れてしまうために別会社にしました。
日下部売り上げに囚われて、“良い音楽”へのこだわりを見失わないようにということですね。
Paix2(ぺぺ)
Noriko K
一生音楽をやりたいのか?それとも歌が歌いたいのか?
稲垣それから2年前に中国で「苏诗丁(蘇詩丁=su shi ding)」というアーティストをプロデュースさせていただきました。
日下部素敵な曲ですね。この女性の後ろでギターを弾いているのは稲垣さんですか?
稲垣はい。詩と曲は彼女が作り、私がプロデュースと編曲を担当しました。レコーディングは日本で行い、映像は中国で撮っており、現在までに800万ダウンロードされています。
日下部すごいですね。中国からのオファーはどのような形であったのですか?
稲垣弊社から中国大使館も近く、中国人の友人も多いというご縁もあり、中国の新規スタジオ建設の企画制作の相談を受けていたのですが、以前から海外でも仕事がしたいと思っていましたので、歌が上手くてビジュアルがイケる方がいたら紹介してほしいという話をしていたところ、彼女を紹介してもらいました。
日下部日本はCDが売れない時代になりましたが、中国の音楽事情はどうですか?
稲垣中国ではすでにCD販売店(レコード店)がありません。日本でもアーティストとの握手券がついているとか、ファンが欲しいジャケットなどの付加価値がなければ、CDは購入しませんので、一部の対象の人以外はもうCDは終わっていますね。更に言えばダウンロードも終わっています。
日下部ダウンロードもですか?
稲垣YouTubeでミュージックビデオを無料で観ることができますからね。わざわざ200円を払ってダウンロードはしないですよね?
日下部確かにそうですね。しかしこれだけすべてが無料になってしまうと作り手は大変ですね。
稲垣制作予算もどんどん減らされていますが、だからといってクオリティの低いものを作るわけにはいきません。日本の音楽事情はかなり厳しくなっています。
僕自身も今の仕事の7~8割は中国です。中国では予算が取れるので、本当に良い音楽を作り上げることができます。
日下部そうなんですね。そんな現状では日本でミュージシャンは稼げませんね。
稲垣良い音楽の定義は難しいですが、才能やスキルのあるミュージシャンが集まれば、その場でここをもっとこう変えたら?そうだね、じゃあこうしてみよう。という具合にアイデアがどんどん出てきて、結果良い音楽が生まれます。
でも日本では、どうせあまり聞こえないし、仮入れのギターのままでいいよ・・みたいな感じで出来上がってしまう。いまはキーボードとパソコンで音楽が作れてしまいますからね。良いものを作りあげるのではなく、予算ありきでの制作になっています。
日下部そういう時代だからこそ、“良い音楽”にこだわっているのですね。
稲垣長い間音楽をやってきましたが、自分のやりたい音楽ができなかった20代の頃、もうこの業界を辞めようと思い、他のアルバイトの仕事をしたことがありました。そこで社員にならないかと言われたときに、自分は何をしているのだろう?とまた考えてしまい、仕事としてやったことの対価をもらうのであれば音楽で対価をもらいたい。できれば自分が携わった音楽で人に喜んでもらいたい。そう痛感し、また音楽の道に戻った過去があります。
結局自分が楽しんで仕事をしていなければ、人に喜んでもらうことなんか出来ないんですよね。
日下部料理も同じですね。よい素材を使い、作る過程を楽しんで、愛情が入った料理の美味しさは、相手にも必ず伝わります。作り手の気持ちを聞くと、音楽の聴き方も変わりますね。
ご自身がデビューしていたらと考えたことはないですか?
稲垣この業界に入った頃は自分がデビューしたいと思っていましたが、師匠に「一生音楽をやりたいのか?それとも歌が歌いたいのか?」と聞かれ、一生音楽がやりたいと、他の人の楽曲でデビューすることから降りてしまいましたので、それからは自分が表舞台に立ちたいという気持ちはありません。もしデビューしたとしても売れずに、消えていたのではないでしょうか。
プロデューサーは裏方の仕事をする職人で、自分達が売れるわけではありません。だから売れっ子プロデューサーという表現には少し違和感を覚えますね。
苏诗丁(蘇詩丁=su shi ding)
林 綾香
CDもダウンロードも音楽が売れない時代
“会いたいからお金を払う”に原点回帰する
日下部印税の仕組みはどのようになっているのでしょうか?
稲垣作詞、作曲をした場合、CDが1枚売れると10円の印税が入ります。1万枚売れても10万円にしかなりませんが、テレビやラジオ、カラオケなど2次使用があれば100万や200万円の印税になる場合もあります。
日下部稲垣さんの場合、中国からも印税が入ってくるのですか?
稲垣どれだけ売れてどう計算されているのか詳しくは把握できていませんが(笑)、入ってきていますね。売れた物の対価だけではビジネスにならないので、権利は本当に大事だと思います。自分自身ヒット曲をもっているわけではないので、よくビジネス出来ていると思いますが、それも権利があるからですね。
日下部何がヒットするのか、こればかりは本当に分からないですが、権利収入は大きいですね。
CDやダウンロードが売れない時代になり、今後の音楽はどうやって生き残っていけばいいのでしょうか?
稲垣これからの音楽ビジネスは、営業権をうまく使ってプロダクションで儲けていく必要があります。原点に戻るということで言えばライブですね。これまではレコードやCDなど、形のあるものにこだわっていましたが、今は形がなくても無料で情報を拾ってくることができるので、どこで課金するのかが非常に難しいと思います。これからは“会いたいからお金を払う”という原点に戻り、会った記念にタオルやお土産を購入するなど、 “会いたい”から付加価値が生まれてくると思います。
日下部最近は初音ミクのような、バーチャルなアーティストのコンサートにも人が集まりますよね。会いにいくというのと少し違う気もしますが、映像や演出によって会場が盛り上がっている。
稲垣そういう世界観が好きな人たちも多いですよね。例えば、小室哲哉さんはコンピューターがあるから使ったわけではなく、コンピューターを取り入れたから売れました。初音ミクのライブも、音楽にコンピューターを取り入れたことも、発想やアイデアは違えども、面白いんじゃない?から始まり、それにみんなが興味を持って“会いたい”に繋がります。
日下部たとえバーチャルでも会いにいくというのは同じなんですね。
稲垣音楽は誰かが良いと言っても、自分がそう思わなければお金出して聴こうと思わないですよね。結局“1対多”ではなく、“1対1”の勝負です。その一人一人がお金を出した結果、自分のところに巡り巡ってお金が支払われる。でも今はCDを買って音楽にお金を払うというより、その人を応援するという気持ちでお金を払っている。だったら、CDじゃなくて握手券を1000円で売ってもいいと思いますね。
日下部確かに、AKBは握手券や投票券が欲しければCDを買ってもらうという戦略ですよね。
稲垣それからCDやダウンロードなどの音楽は、悲しいことにみんな同じ値段です。飲食でいうなら、吉野家でも高級レストランでも金額は同じということ。これはおかしいですよね。コンサートなら差別化できますが、これからは音楽とエンターテイメントの複合的なものが生まれてくると思います。
日下部中国は国の予算で自国の伝統音楽を残しているし、韓国は世界にK-popを広げる戦略が出来ていますが、日本はあまりそのような話は聞きませんね。
稲垣日本の音楽業界は、アーティストを育てることをしなくなってしまいました。
昔は生で歌うのが当たり前だったので、上手な人をさらに磨きをかけて育てていましたし、上手くなければ時間やお金をかけて勉強させ、成長させていました。
レコード会社も時間をかけてアーティストを売り出していましたが、今は1枚CDを出して売れなければ、翌年にはお払い箱です。逆に歌が下手でも売れ続けていれば生き残れますが、10年先にはどうなっているかわかりません。アーティスト側も変わりましたね。これは芸人も同じで、ただ仲間同士で盛り上がっているだけの芸人は多いですが、古典の落語や漫才など、本当の芸事ができる人は少なくなりました。
アーティストと呼ばれる人たちは絶えず努力をし続け、その世界の“職人”であるべきだと思います。
日下部昔は歌のうまい人が多かったですよね。それから音楽のジャンルも多様化して、昔ながらの演歌や昭和歌謡で活躍する人も少なくなりました。
稲垣棚が増えたというか、誰でもデビューできる時代になりましたし、聞く側も本当の音を聞くことが少ないので、味音痴のようになってしまったのかもしれません。また、爆発的なヒットが少ない理由は、曲に魂が入っていないというのもあります。
昔は伝えたい想いが先にあり、それに合わせて詞や曲を何度も議論精査しながら作り上げていましたが、今はいくつも曲を集めてきて、その中から選ぶだけのコンペです。そこに魂がないから売れないのは当然ですよね。
日下部魂のこもった曲を本物の音で聴く機会がなくなってしまったんですね。
稲垣音楽のエンターテイメント性の比重が多くなり、ビジネスが大きくなりすぎてしまった弊害です。関わる人が多すぎて、そこを満たすために売り上げ重視でコストを下げるという連鎖もあるでしょうね。
日下部食の世界もニーズや便利さを叶えるために、添加物やレトルトなどが産業として発展しましたが、今はまた原点回帰しシンプルで素材にこだわったものに意識が戻ってきています。
稲垣音楽も同じですね。原点回帰しないと続かないと思います。
仕事柄不規則な生活。それでも家族の食事は自分が作る
日下部お仕事柄、規則正しい生活が難しいと思いますが、ご自身の健康管理はどうされていますか?
稲垣仕事上外食が多いので、夜はなるべく食べ過ぎないようにしたり、糖質を減らしたりしています。
また、料理が好きなので僕が家族の食事を作っているのですが、できるだけ多くの食材を使い、油はオリーブオイルと胡麻油しか使わないなど、体のことを考えて料理をしています。
スーパーに行くのも好きなのですが、何かを作ろうと思って食材を買うのではなく、今はこの食材が旬だからこれで◯◯を作ろうという感じでレシピを考えます。
日下部旬のものをしっかり使われていて、素晴らしいですね。体調はどうですか?
稲垣最近は外食が続いてしまったのであまり良くないですが、食事を正すとまた戻せると思います。
ファストフードやコンビニで済ますような惰性で食べることはせず、食べたいと思えるものを選ぶようにしていますし、自分の帰りが遅いときは、家族に食事を作っておいたりします。
日下部食べたいという感覚は、体が必要なものを欲しているということなので大事です。
誰かに食べさせるという目的があると、バランスを考えて美味しいものを作ろうとするので、手を抜かなくなりますよね。睡眠はとれていますか?
稲垣めちゃくちゃですね(笑)。これは職業的に難しいですが、分けてでも6時間くらいは寝るようにして、毎日体重と血圧を測定しています。
日下部最後にこれからの展望を教えてください。
稲垣本物の音楽を伝えていきたいですね。拡散させやすい時代ですので、いろいろな方法があると思いますが、自分が良いと思ったものを信じて発信していきたいです。
日下部ミュージシャンにとっても希望の光になりますね。今日は興味深い話をありがとうございました。
日下部淑美からひとこと
平成も今年で終わり元号が変わる年。時代が大きく変化するタイミングのようです。
昔の20年分の情報量が、今ではたった1年でその情報量を超えて発信されている時代。音楽の楽しみ方もレコードから電子的なものへと変化しました。
それでも人々を魅了する“根幹”になるものは不変的だったりするのではないでしょうか。大きな時代の流れが変化する中でも、変わってはいけないものを軸とし、変化を続ける。
変化を恐れず、いい意味で時代の波に乗ることを楽しみたいですね。
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有限会社アートーンミュージック 東京都港区元麻布3-10-22-101 TEL: 03-3475-3235 / FAX : 03-3475-3232 代表者:稲垣 欽哉 |
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