日本の魂に響く音霊、言霊を奏でていきたい
- 琵琶語り
フラメンコ歌い手
/弾き語り - 須田隆久
- 神夜舞着物 創始
フラメンコ舞踊家
イベントプロデュース - 上籔よう子
夫の須田さんはフラメンコの歌い手・ギタリストであり薩摩琵琶奏者で、妻の上籔さんはフラメンコ舞踏家からイベントプロデュース、独自の着物スタイルで活躍。その枠に囚われない活動が多くの人を魅了し続ける理由とは?
奥深い能の世界
薩摩琵琶の演奏と歌はフラメンコに近かった
須田 隆久(すだ たかひさ)
琵琶語り・フラメンコ歌い手/弾き語り
スペインでフラメンコギターと歌を学び、フラメンコ歌手を生業としながら伝統的な音楽や楽器を探求。
歴史的な造詣も深く、フラメンコに薩摩琵琶や能楽の謡いを取り入れ、邦楽との融合を国内外に発信するなど、ジャンルの枠に囚われない類稀な音楽家として世界で活躍する。
日下部お二人のプロフィールを拝見すると、フラメンコから始まっていますが、今では能楽とのコラボレーションをはじめとした、独自のカテゴリーで活動をされていますね。
上籔二人ともフラメンコを生業にしてますので、スペインを中心に活動してきましたが、能や琵琶、日本の伝統芸能を学ぶようになり、彼は演奏、私は踊りにそれらを落とし込んでいます。別々のようですが同じ道を二極で進んでいます。
須田私はフラメンコの歌い手のせいか、歌舞伎の長唄や浄瑠璃節がとても好きで、人形浄瑠璃では人形が踊り手、義太夫という歌い手がカンタオールというフラメンコの歌い手、太棹の三味線はフラメンコギターに見えてくるんです。歌舞伎にフラメンコとの関係性が見えたとき、日本文化の凄さを感じました。
また薩摩琵琶の演奏と唄の激しい部分はフラメンコに近く、“これは自分に合っている”と感じて、琵琶語りをする今の師匠に本格的に琵琶を学び始めました。
今は琵琶もプロとして活動し、能楽師の先生方と国内外の公演もご一緒させて頂けるようになりました。
上籔私達の独自スタイルが面白いと能楽師の先生に声をかけていただき、3年前にアルメニア国とジョージア(グルジア)国の在日本大使館に招かれました。
日下部ジョージアはとても良い国だと言われていますよね。
上籔中国などのアジア文化をはじめ、ロシア、アラブ、ヨーロッパの文化がクロスオーバーしているのがジョージアで、“旅慣れた人が最後に行きつく国”と言われているくらい素晴らしいところです。日本も島国ではありますが、様々な文化を吸収していますよね。
琵琶は大陸から流れてきましたが、元となった大陸の楽器は無くなってしまったため、日本にしか存在しない楽器になりました。
須田天皇皇后両陛下の御即位を記念して、正倉院展の特別展が開催されますが、琵琶が披露されるのは東京では2回目だそうです。
私は子供のときにその1回目を見ましたが、螺鈿・玳瑁貼りなどの技法を駆使した華麗な文様の五弦琵琶が美しくて、他のものには興味を示さなかった私がその琵琶の前で立ち尽くしました。
普通の琵琶は首のところが直角になっていますが、ギターのように真っ直ぐになっているインド起源の琵琶ですが、インドにはもう現存しておらず、日本にしかありません。また楽琵琶も起源である中国には残っておらず、今は日本にしかありません。
上籔日本は他国の文化に影響を受けても、元の文化はそのままの状態で残しつつ、日本独自の新しい文化として発展させていきますが、諸外国では独自に文化が発展すると元の文化が残らないことが多いようです。
ただ、日本の文化を勉強してみて思うことは、自国のことをあまりにも知らないということです。着物の着方でさえ、お金を払って着付け教室に通う。そんな国は他にはありませんよね。
日下部上籔さんは現在もフラメンコの踊り手なのですか?
上籔通常のフラメンコは引退しており、プロデュースが主です。
プロデュース公演では、私が惹かれた他の踊り手に踊ってもらっています。
私は今、宝生流の能の仕舞を習い、フラメンコと融合して舞っております。
須田の音楽プロデュースで能の仕掛けを手掛けるようになったこともあり、最近は能の音楽でベリーダンサーやフラメンコダンサーに踊ってもらうことが多くなりました。
能の舞台の中にも“盛り上がっている場面”や“狂おしく舞っている様”というのがありますが、素人が見ても全くそうは感じられません(笑) そんなところが能の難しいところであり、奥深さでもあるのですが、その抑揚を須田が上手にデフォルメして演奏することで、表現がはっきりとするんです。 能楽師の先生からは「凄いね!あれがこうなるの?わかる!」と褒めていただき、伝統文化ジャーナリストからは「これが乱拍子の元だったのではないか?」とのご評価もいただきました。
日下部なるほど・・元々あったものが進化して今の能の形になり、もう一度進化させようとしたら元に戻ったという感じですね。
須田多分、今の能はそぎ落とされてできた形だと思います。元はもっと派手で、テンポも速かったようです。
上籔今の現代人は忙しくて時間に余裕がないので、能を観てゆったりと時間を過ごして欲しいという思いが今の能に繋がっています。能を観ているとα波が出るそうです。だから寝てしまっても構わないんですよ。
日下部確かに寝てしまいます (笑)
上籔 よう子(かみやぶ ようこ)
神夜舞着物 創始・フラメンコ舞踊家・イベントプロデュース
フラメンコ舞踏家を生業としながら、日本の歴史や着物文化を学ぶ。 様々な舞踊に携わり、能の舞とフラメンコとのコラボレーションなど、独自のイベントを多数プロデュース。 プロも瞠目する独自の着物スタイル講座が称賛を浴びるなど、その多様な活動が多くのファンから支持を得ている。
須田時代背景を考えると能は、常に死と隣り合わせで、自分が失敗すれば一族がどうなるかも分からないというプレッシャーの中で生きていた、織田信長などの戦国武将が愛した芸能です。リラックスできて夢うつつになれる環境でこそアイデアが生まれる。現代の能の観方も同じで、ボーっと観ているとアイデアが浮かんでくるので、メモを持って来る方もいるくらいです。そういう見方もお勧めですよ。
日下部それは知りませんでした。
上籔能楽は歌舞伎よりも馴染みが薄いですが、知ってみるととても奥深いです。フラメンコの舞台では、多くの方に踊りを観て欲しいものですが、能は観てくれる人がいなくても、充実感があります。緊張感が高い能舞台の特殊性なのでしょうね。
須田芸能の原点である能の演舞は、神様に奉納するもので、お客様に対して披露するようなエンターテインメントではないという考え方があります。
能の舞台の背後には鏡板という松が描かれているものがありますが、あれは正面側にある松が写っていることを表しています。
その松を「影向の松」と言いますが、影向とは神が姿を現すことで、その松(神)に向かって我々は演舞します。だからお客さんが誰一人いなくても演舞しますし、地震が起こっても、人が死んでも、怪我人が出ても途中で止めることができないのです。
日下部それは凄いですね。
須田実際に人が倒れたことがありますが、止めることはできないため、変わりの後見という人がスーっと入りそのまま続けたそうです。
私もフラメンコのプロですが、そういう感覚をまたフラメンコの中に落とし込むことによって、演奏形態が変わりました。お客さんが少ないと嘆くことも昔はありましが、今は一人でもやる、その人のためにやる、居なくても勤めあげるという一流の心持を能から学びました。
フラメンコからのご縁が結びついて今のこの活動となり、アートになってきています。
いざとなれば、玄人の能楽師の方々にも出演可能な融合作品を作れるようになり、
能のお客さんがフラメンコを観たい、フラメンコのお客さんが能を観たいという導線も作ることができました。
何かを目指してというよりも、自然とこれからの道が見えてきたという感じです。お陰様で来年のフランスでの舞台にも招かれており、これまでコツコツと活動してきた積み重ねのお陰だと感じています。
上籔私たちのコラボ舞台を見て能の教室に通いはじめた方もおり、生徒がどんどん減っている能楽教室の中で、我が師匠の教室だけは生徒さんが増えています。
昨年は出来るコラボ公演を全てやってきました。 一ヶ月のうちに、フラメンコ、ベリー、能楽師の先生とのコラボという感じで、毎日のように演目が変わり、日によっては1日に違うジャンルのリハーサルをいくつもこなす日もありました。
日下部能や琵琶を用いた活動を始めて5年なんですね。
上籔この5年間はやれることをやってきましたが、昨年末で何か節目を迎えたような感覚になり、今年頭はイベントの企画を立てておりませんでした。ただ、佐渡で30年行われ続いている「アースセレブレーション」という鼓童の世界的野外フェスティバルで、私達がプロデュースした鼓童のメンバーと「道成寺」という演目をやらせていただいたご縁で、8月に招聘されて公演することだけが決まっておりました。
「道成寺」は今でいうストーカー殺人のような内容ですが、能や歌舞伎、浄瑠璃でも有名な演目で、「安珍清姫の物語」として1200年も謡い続けられているラブストーリーです。
能楽の世界では、大変位取りの高い演目のため、この演目をやらせていただく際は、能楽師の方々は、必ず和歌山県の道成寺にお参りに行かれるという話を伺っていましたので、去年から私達もお参りに行くようにしております。 今年はプロデュースをさせていただいた主役の小島千絵子さんも一緒にお参りに行くことになり、他にも同行したいという方が出て、5人で道成寺から和歌山を巡礼する旅になりました。
須田これは偶然なのですが、この巡礼は古事記にあった神武天皇が辿った順路と同じで、要は順風だったんです。もともとは逆から行こうとしていたのですが、何故か自然と正しい順風になりました。神がかりとはこういうことですね。
上籔日本とトルコの合作映画『海難1890』で、トルコ船エルトゥールル号が海難事故で沈没したのが和歌山県の串本町沖ですが、映画の中で歌われたトルコの唄を須田に歌ってもらいたくて、須田にトルコ語を学んでもらい、事あるごとに歌ってもらってました。今年やっとこの巡礼の旅で海難現場まで行って、沖に向かって須田に歌ってもらいました。
日下部その映画は私も観ました。トルコではずっと日本人への感謝の意を語り継いでくれているようですが、日本ではあまり知られていないですね。
須田謡っていくことで、背景にあるストーリーも伝えていきたいですね。
上籔今年になって『令和の会』というイベントを2回開催しておりますが、その活動名を「Art&Prayカンパニー」と名付けました。“Pray”とは祈りという意味で、芸能/芸術と祈りという意味になります。 神仏に捧げる芸能を、Art/芸術に昇華していきたいんです。そういうものを作っていきたいと考えて付けた名前です。
現代の吟遊詩人 須田隆久
SudaTakahisa Japanese Troubadour
上籔よう子プロデュース公演
「鼓舞 道成寺」
古典や正統は守りつつ、いかに崩し融合させるか
日下部過去に能を観たことがありますが、以前は誘われても気乗りしませんでした。お二人のお話を聞いていると能や歌舞伎の世界をのぞいてみたくなりますね。意味が解らず観るのと、お話を聞いてから観るのでは価値観が変わります。
須田日本人は敷居が高いと感じるあまり、何を着ていけばいいかとか、寝てはいけないなど、仕来りにこだわり過ぎる傾向があります。能は夢うつつで観るものと知れば気負う必要もないのですが。
上籔着物にしても、こうやって着ないといけないと思いこまれている方が多いですね。
日下部お二人が着物を着るようになったきっかけは何ですか?
上籔私は子供の頃から着物が好きで、結婚を機に着付けを習いました。着物が着られるようになると着物で出かけたくなり、歌舞伎をよく観に行くようになりました。
須田私も彼女の影響で着物を着るようになりましたが、私が着物を着るようになった頃は着ている人がまだあまりいなかったので、よく奇異の目で見られました。 最初は嫌でしたが、褒められることも多かったので、だんだんその気になってしまいましたが(笑)
上籔男性の着物が珍しいこともありますが、彼は背が高く、髪型もこうですので、二人で着物を着て歩いていると褒められるのはいつも彼の方です (笑)
日下部本当にお二人とも素敵です。しかし上籔さんの着物の着こなしは斬新ですね。
上籔実はこれは別に新しいものではありません。 西洋の文化が入ってきた時代は、着物にブーツを合わせたり、カクテルハットを被ったりして、誰もが着物をファッショナブルに着こなしていました。 おばあちゃんの時代の着物は帯に板なんていれていませんでしたが、戦後の急激な西洋化によって、そういった歴史が消えてしまい、着物が常着から呉服/晴れ着になってしまいました。
須田坂本竜馬もブーツを履いて写真を撮っていたように、日本は全てが融合なんです。ジーパンを履くように着ていた着物があったのに、いつの間にか“着物イコール晴れ着”になり、タキシードのように着る着物ばかりになってしまいました。
日下部私は着物を着ることに抵抗があるのですが、上籔さんのような着物なら着てみたいと思えます。
上籔着物は皺が寄らないようにピシっと着ないといけないと思ってしまっていますが、昔は着物で家事や炊事をやっていました。
本来着物は皺(ドレープ)が素敵だったのに、日本はそれを封印してしまいました。 江戸時代以前は女性も帯をせず、紐一本で男性的な着方をしていましたよ。
日下部上籔さんはどうやってその着物を集められたのですか?
上籔古着屋さんやネットです。
須田昔はみんな着物を着古していて、よれよれになれば中に着て重ね着にし、それでもダメになったらふんどしや雑巾にして、最後まで使っていました。エコを学びたかったら日本の歴史を学べば良いと思います。
夏の着物は暑いと言われますが、こんなに日本の風土に合っているものはありません。麻の着物や襦袢は、風を通してべたつかないし、汗をかいてもサラサラしています。着物も常着やTPOに合わせ、着方や素材などの選び方が変わってくるんです。
上籔私の着物講座では座学の時間も設けています。もともとの着物文化や考え方を知らないとおかしなことになりますので、知った上で着崩していくようにしています。
私の講座には着物を生業にしている方も来られますが、正統派の方ほど、着物を崩して着ることが難しいようです。
日下部学ばないと分からないことばかりですね。
上籔去年フランスに行ったときも洋服は持っていかず、着物だけで過ごしました。昔の着物ってとても軽くて柔らかいんです。
日下部触ってみていいですか・・・え~?!本当に薄くて柔らかい。しかも着物の中は網タイツ (笑)。誰もが真似できるセンスではないですよね。
須田フランス人はいい物や文化的ファッションは、ちゃんと褒めてくれます。古典や正統は守りつつ、いかに崩し融合させるか・・やはりセンスが大事ですね。
日下部基本もわからずに崩したものを真似るだけでは、やはり素敵なものは生まれないですね。
上籔須田は他の演者とコラボレーションするとき、相手のジャンルを勉び習得してから共演します。 例えばフラメンコと能なら能を習い、アラブ音楽を学び、ボサノバのギターも習いに行きます。だからそこに共通の言語が生まれる。ジャンルが変わると専門用語が通じなくなりますが、須田はそれをトランスレートすることが出来ます。
須田私はどんなジャンルもリスペクトしていますので、必ずそのジャンルを学んでからコラボレーションさせてもらいます。そのおかげで、様々なジャンルの方と合わせられるようになりましたし、それが私のプロとしてのこだわりでもあります。
上籔そういう面が評価され、来年のフランス公演ではユネスコ本部のホールなど出演させていただく予定です。
須田邦楽の玄人の方の元で学び、日本文化をしっかり勉強し、その根本を持ったうえで芸に落とし込み、海外に発信しています。
日下部素敵ですね。
須田フラメンコのお陰です。日本のこともろくに知らず、スペインの熱さに憧れてやってみたものの、自分探しをしていたら、実は日本の足元にあったことに気づきました。
日本のことを勉強してみるとあまりにも深くて・・2000年近く歴史が続く日本には、全ての文化に融通無碍という考えがあります。宗教にも仏教にも芸能にも、日本の風土に合うようにアレンジしていく力、伝えていく力がありますが、それを芸能、音楽で私達はやっています。
何故異なるジャンルを混ぜるのかと言えば、語りつくせぬ哲学や信念があり、芸能を学ぶことで自然と身に付いたものに導かれるがごとく、今のジャンルにたどり着きました。
上籔私達は二人ともフラメンコを生業にしてきたので、傍からみたら不思議なことをしている二人に見られていると思っていましたが、最近は「面白そうなことをやっているね」と言われるようになりました。日本人の血を継いでいる私たちは、どうやってもスペイン人にはなれません。フラメンコそのものも実は純粋なスペイン人のものではなく、全てが融合されて作られてきた文化ですので、私達も私達にしかできないフラメンコを追求した方が良いと考え、フラメンコに和を取り入れました。
須田長く継承されている芸能に対し、多くの人は“綺麗”とか“素敵”という感想を言いますが、その中にどれだけの悲しみや苦しみが入っているのか・・どれだけの犠牲があって、その歌や音楽、舞が出来あがってきたのかを知ると涙が出ます。その想いを唄い奏でていますから、伝えたい想いが深いんです。
それも楽器を辿っていくことで導かれていきました。人知を超える叡知ですね。
日下部そこまで追求されているんですね。お二人は日本で名を残す存在になりそうな気がします。
月暦のリズムに合わせて行動し、和歌を唱える
令和元年12月1日(日)
第11回 満次郎の会「令縁和傳」出演予定
日下部お二人の自己管理、健康管理の方法などがありましたら教えてください。
上籔最近になって健康に気をつかうようになりましたね。年に1回は二人で健康診断を受けていますし、食事もちゃんと作るようになりました。
須田彼女が肉と野菜を中心に食事を作ってくれているおかげで、とても体調が良いですね。私はごはんが好きで太りやすいのですが、量の調整もしてくれるので、体重をコントロールできていますし、栄養が足りないときはサプリメントなどの補助食品も活用し、筋トレもしながら体に気を使っています。
上籔それからなんでも頑張り過ぎないことを意識して、なるべく休息も取るようにしています。ただ気を抜き過ぎると風邪を引いたりしますので、うまく調節しながら休むことを意識していますね。
須田私は琵琶とフラメンコの両方を演奏するので、代役がいません。そういう意味ではいつも気が張っていますが、休息を取る時は気を抜き過ぎないことを心がけています。
彼女が整体も出来るので、マッサージでメンテナンスもしてくれます。体のゆがみも戻し過ぎないよう、ちゃんとバランスをとってくれるので助かっています。
上籔彼は本番ばかりですから。二人はいつも手を繋いでいるように見えるらしいのですが、実は私が彼の手をマッサージしています。彼は顔が引きつってるんですが・・(笑)。楽器を弾く人は腱鞘炎になることが多いので、手のマッサージはとても大事なんです。
日下部素晴らしい。常に良いコンディションで本番に挑めるのも奥様のおかげですね。
上籔あとは和暦、月暦のリズムに合わせて行動するようにしています。そのお陰でメンタルが落ち着くようになりました。日本人のDNAにあうようですね。彼は和歌を唄い始めて性格が変わりました。
須田和歌を唱えると徳を積むと言われますが、和歌を琵琶で弾き語るようになって、自分が救われました。自分で音楽を奏でられるというのも、精神的に良いのだと思います。
日下部今後の展望を教えてください。
須田今はヒーリングなどもありますが、楽琵琶を通してDNAを掘り起こし、多くの人の心身を整えていきたいですね。陰陽五行は興味を持っている分野ですが、陰陽五行を用いた音楽療法は西洋の音楽で作られています。私は1300年の歴史がある楽琵琶で、日本の魂に響かせる音霊、言霊で奏でていきたいと思っています。そして来年(2020年)の春にはCDの発売も予定しています。
日下部今日は興味深いお話をありがとうございました。今後の更なるご活躍を楽しみにしております。
日下部淑美からひとこと
基本を学ぶことで、基本から外れたことが出来る。常識を知った上で、常識を破る。
どんな分野でもそうですが、基本や真実を追求することで、初めて見えてくる世界があるように思います。そんな世界観から作り上げた舞台を観たいと素直に思いました。
歌やダンスが上手い人は沢山います。でもその背景にある歴史や、思いを伝えられる人は稀です。
日本の文化や歴史は学校の勉強だけではなく、いろいろな視点から学んでみると面白いかもしれません。
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