身体と音が調和する自然体の音楽を奏でていく

ヴァイオリニスト

志村 寿一

小さな頃からヴァイオリンを学び、ニューヨークの音大時代はコンテスト優勝やベストパフォーマンス賞を獲得。現在は世界各地で演奏活動を行う傍ら、レッスン講師としても活躍。志村さんが提唱する「身体と音楽との調和」とは?

“自然な”身体の使い方ができなければ、届かない領域がある

志村 寿一

志村 寿一(しむら ひさいち)

ニューヨークマスネ音楽大学在学中、マスネ・コンペティションで優勝。マスネ音楽大学でベストパフォーマンス賞を獲得後、学士・修士を取得し、日本とニューヨークを中心に世界各地で演奏活動を行っている。2016年志村寿一・音楽の会「寿音」を立ち上げ、「身体と音楽との調和」を目指した独自のメソッドによる指導を行っている。
カユーガ室内管弦楽団首席ヴァイオリン奏者、桐朋学園芸術短期大学特任准教授、前東京藝術大学音楽学部弦楽科非常勤講師

日下部本を拝読させていただきましたが、とても興味深い内容でした。“健康体でなければ良い音は出せない”と考える音楽家はこれまでいなかった気がしますが、志村さんがヴァイオリンを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

志村自分が2、3歳の時、子供の頃数ヶ月だけ学校でヴァイオリンを習っていた母が、その時に使っていた子供用のヴァイオリンを弾いて聞かせてくれたのが興味を持った始まりです。
他の楽器よりもあきらかにヴァイオリンの音に反応したので、ヴァイオリンを習うことになりましたが、母はなんでも良いから自分に音楽を習わせたかったようです。
高校まで日本でヴァイオリンを勉強していましたが、希望大学に入れず浪人しているとき、ニューヨークから来日した先生のマスタークラスを受講したところ、「あなたが日本にいなければいけない理由はありますか?」と聞かれました。
日本に居なければならない理由などありませんでしたので、1ヶ月後には先生のいるニューヨークの大学に入るため、渡米しました。

日下部1ヶ月後に渡米とは凄いですね。言葉の心配はなかったのですか?

志村ご縁に流されるまま生きているので、あまり計画性がないんです(笑)。
渡米直後は英語の勉強が主で、とにかく言葉に慣れるのが精一杯でした。レッスンは音楽の話なのでなんとなく意味はわかりますが、日常生活は大変でしたね。

日下部音楽で海外に行くとなると学費も相当かかりそうですが。

志村父は築地で働いていましたが、決して裕福な家庭ではありませんでした。事前にいくらかかるかをきちんと計算していたら “無理だ”という結論になったと思いますが、先に動いてしまったので・・まあそのお陰で今があるのですが。

日下部寛大なお父様ですね。

志村そうですね。ちょうどバブルが弾ける少し前くらいでしたから、勢いもあったんだと思います。
僕は昔の演奏家の演奏が好きなのですが、当時はその巨匠たちがまだかろうじて生きていた時代でした。
著書の中の「追憶の中の巨匠たち ピアニスト-レオン・ポマーズ」でも紹介していますが、僕が渡米したとき、80代のレオンに会うことができました。
彼は歴史上の名だたるヴァイオリニストたちの伴奏者でした。伴奏者は音楽の流れを造ってくれる人で、リズムや呼吸を深く理解していないと務まらないため、昔はとても地位が高かったんです。

日下部演奏は身体の使い方が大事だというのは、いつ頃気づいたのですか?

志村10時間以上練習する根性や生真面目さは、演奏を上達する上で大事なことだと理解できるのですが、とにかく数をこなしなさいという日本の教育方針が苦手でした。
ヴァイオリンを弾いていると、スッと気持ちよく弾けてしまう瞬間もあれば、いくら弾いても気持ちよくないときもあります。昨日出来たのに今日は出来ない・・僕はこの違いを“身体の使い方”だと感じました。
できないのに特訓を続けても、変に力が入って部分的に身体を痛めてしまいそうだし、大好きなのに弾いていても気持ち良くない。それなのに何も考えず1000回弾けという指導に疑問を持ちました。
僕は反発心が強くて、自分で色々試してやり方を変えてしまうんです。だから日本の大学に合格できなかった(笑)。
今の時代の審査基準は、最高点と最低点は評価されません。何かに突出していてもだめで、万人受けするような、可もなく不可もなくという範囲が選ばれます。すると教育方針もその平均点を目指すものになっていく・・クラシックは長い時間をかけてそんな流れになってしまった。それが時につまらないと言われてしまう原因の一つだと考えています。

日下部淑美

日下部独自の路線で違うものを目指す以外、本当に評価される道がないですね。

志村僕ができるときとできないときの差が激しいことに、渡米前に習っていた先生も頭を抱えていて、音楽と身体のことに造詣が深かった先生の奥様に相談したところ、「身体全体が自由に動ければあなたの音楽は自然と出てくる」と言っていただきまして、自然に弾く大事さを教わりました。
それから半年後に渡米して、身体の使い方が自然でなければ、いくら練習したところで届かない領域があることをはっきりと認識しました。

日下部そうだったのですね。

志村その後、ボディワークの一つである“アレクサンダーテクニック”や、人生で初めて“モダン的”ではない奏法をされている新たな師との出会いで、僕自身の演奏方法や身体の使い方がガラッと変わりました。

日下部偶然の出会いの産物ですね。

志村その時期、生活のために子供にヴァイオリンを教える仕事をしていました。子供たちは曖昧なことには納得しませんし、素直なので教えたことがそのまま結果に表れます。
子供たちの成長をみて自身の考えを検証し、不変的なことを知っていくことで、自分の感覚的なものが確信に変っていきました。

日下部子供に教えながら身体と調和する演奏方法を習得されたわけですね。

志村20世紀前半は特にヴァイオリン演奏における黄金期で、巨匠と呼ばれる演奏家たちの演奏は余計なものをそぎ落とし、身体と音楽が調和した“自然体”でした。
音の中には“基音”と呼ばれる基本の音があります。一般の人は“ソ”を聞いたら基音、つまり“ソ”の音しか鳴っていないと思っているかもしれませんが、実は同時に沢山の音が鳴っています。例えば一オクターブ上の“ソ”や何オクターブも上の“レ”や“シ”だったり。この基音以外の沢山の音のことを倍音と言いますが、昔の人の演奏にはこの倍音が豊に鳴っていたんです。
今、我々が普段の生活で耳にしている電子的な音には倍音はなく、基音しかありません。自分にとっては栄養のない食べ物を食べているように、“栄養のない音楽”を聴いている感覚です。
決して今の音楽を否定しているわけではありませんが、一つだけ栄養素があったとしても、身体が喜ぶ美味しいものにはなりません。これも生徒が実証してくれていますが、演奏の手先のテクニックよりも全体性がとても大事で、全体が有機的に動ければ動けるほど、倍音が増えます。

日下部昔のヴァイオリンはとても高価ですが、倍音との関連性はあるのですか?

志村昔は倍音を大事にするように楽器を作っていたと思いますが、現在の価値で10億円もするようなヴァイオリンでも倍音が少ないものもあります。
古い楽器は、部品の交換等、調整をしていかないと使い続けることが出来ません。近代は皆“強い音”を出そうとする傾向が強く、多くの奏者は身体の部分的な力を使い上から強い力を加えようとしますし、楽器職人はそれに応えるためにもっと強い部品に付け替えることで、楽器の反発力を増してそれに応えようとします。そのようにして生まれてくる“強い音”には基音ばかりが多く倍音が乏しいのです。

ヴァイオリン演奏のための身体と音楽との調和 (SARASATE basics)
ヴァイオリン演奏のための身体と音楽との調和 (SARASATE basics)

日下部高価だからとか、古い楽器だから音が良いというわけではないんですね。

志村どんなに良い音を出したくても、楽器の調整次第で弾いたときの音は変わります。
アレキサンダー氏曰く、「人は知らないうちに余計なことをしている」と。無意識に余計な動きがあるために、部分的な身体の使い方になり、全体性が失われる。何かを加えるのではなく、余計なものを取り除いていけば全体性が高まり、その人の個性が自然に出てくるというのが僕の考えです。
それは楽器も同じで、張りを強くし過ぎたために、ストラディバリウスのような高価な楽器の個性を殺してしまっているケースがあります。そのような楽器は身体の全体性を失っているのと同じ状態なので、余計な張りを元に戻してあげれば、ストラディバリウス本来の音が鳴りはじめます。

壁にぶつかった時、変化を受け入れられるかどうか

日下部淑美

日下部 淑美(くさかべ よしみ)

BODY INVESTMENT代表
フードエリート / 真実の予防医学食研究家 / 管理栄養士

プロフィール

日下部最近はクラッシックとは異なるジャンルで活躍されるヴァイオリニストも多くなりました。

志村僕と追求しているものが違いますが、ポップスと融合した新しいジャンルを生み出し、活躍の場をつくっていることは素晴らしいと思います。ただ問題はその動機です。それが、子供の頃から苦労して学んできたいわゆる“クラシック音楽”がクリエイティブに感じられないから、というのでは悲しすぎますよね。そんな人たちでも、身体と音楽との調和を再発見できれば、また音や音楽に対する印象も変わってくるのではないかと思っています。

日下部テレビやコンサートで有名人とコラボしている姿を見ると、魅力的に見えてしまうのでしょうね。よく音楽業界で食べていくのは厳しいと聞きますが、音楽を辞めようと思ったことはないのですか?

志村辞めようと思ったことはありません。僕自身はなんとかご縁によって救われてきましたが、思い通りにならないことだらけですね。食べていくために講師を始めましたが、教えることで自分を高められることもわかりましたので、講師とヴァイオリニストの両輪で上を目指しています。
本を出すことになり、教えていなければ考えを言葉に置き換えて話が出来ないことを痛感しました。

日下部志村さんの本を読んで、これだけのことを書けるのは、ただのヴァイオリニストではないと思いました(笑)。

志村連載している雑誌でも、教えていない時期は記事が書けませんでしたね。生徒の質問が自分の伝える力になっています。

日下部今のご自身の立ち位置はどのようにとらえていますか?

志村若い時はがむしゃらに弾けるからなのかもしれませんが、音楽の演奏者はスポーツ選手のように20歳くらいが一番のピークだとよく言われます。ただ、自分自身は今の方があきらかに手も動いて上手く弾けるので、この一般的な考え方には疑問を感じています。

日下部歌手でもこの歌を歌うにはまだ若いと言われますし、年齢や経験を重ねて深味が増していきますますよね。

志村本当にそうですね。若くて実力があると、話題性がでて売れるからと大人がいいように、手っ取り早く商品として作り上げてしまいます。若い時はとにかく頑張れば弾けてしまうこともありますが、ある時必ず壁がやってきます。その壁にぶち当たったとき、パニックになって諦めてしまうか、力づくで弾き続けて身体を壊してしまう若い音楽家が多く、神童と言われた子たちの中には、大人になるにつれて幸せとは言えない人生を送る人も少なくありません。

日下部志村さんは身体を壊された経験はあるのですか?

志村ありません。僕は身体を壊しそうになったら練習辞めちゃいますから(笑)。
子供は特に成長期に身体が変化するので、今まで通りにいかなくなる時が必ずあります。真面目な子ほどその時に無理をして身体を壊しますね。でも、その変化を受け入れて変わっていく必要があります。受け入れられない人はそこで終わりです。順応できる人は何歳になっても上達できるし、年を重ねても味が出るだけではなく、自分にあった最高のパフォーマンスで弾くことができます。

日下部その真理に気づかなければ、受け入れられないかもしれませんね。

志村それからもうひとつ、変わるときの妨げになるのが周りの演奏者の音です。
僕の師匠の音を初めて聞いたとき、一瞬音が小さいと感じたのですが、よく聞いてみると色彩豊かな音が響いている。共演者が強い音を出すと師匠の音は聞こえにくくなるのですが、決して消されることなく、実際にはホール全体に優しい音楽として響いているんです。
周りに影響されず、自分の音楽を貫くことは難しく、誰かと共演したときに、自分の音が消えてしまいそうな気がすると、自分ももっと音を出さないといけないと、つい力が入ってしまうんです。

志村 寿一

日下部人は大きな声より、小声の方が聞き耳を立てるので、大事なことほど敢えて小声がいいと言われていますよね。音楽も大きいと押し付けられているような感じになりそうですけど。

志村ちなみに美空ひばりさんは、大小の声や豊かな倍音を使いわけできて、“聞かせる”歌を歌える日本において非常に稀有な歌い手の一人だといえると思います。人が能動的に聞く、そういう気にさせるというのは大事ですよね。

枠があるからこそ本当の自由を実現できる

志村 寿一

日下部ニューヨークで活動されていたそうですが。

志村今はコロナの影響で渡米できませんが、グリーンカード(永住権)を持っていて、ニューヨークの小さなオーケストラにも所属しています。
身体の痛みに悩んでいた僕の生徒さん達は、身体の使い方を理解して素晴らしい演奏が出来るようになりましたが、同じような理由で苦しんでいる人が日本にもとても多いことを知りました。
今の教育システムからは外れていて苦労しているけど、実は音楽性のある人を助けたいと思っていた時期に日本の大学からお誘いをいただきましたので、快諾して日本に戻ることにしました。

日下部なるほど。ニューヨークでは身体の使い方や、倍音の概念というのはスタンダードなのでしょうか?

志村ニューヨークでもあまりスタンダードではありませんね。僕を含め倍音などを追求する人達はマイノリティです。宣伝の仕方や伝え方にも問題があるのかもしれませんが、“身体と音楽との調和”という考え方は今は少し日本の方が受け入れられやすいようです。今の状況に疑問に思っている人が多いのかもしれません。
面白いことに日本でこういう話をしていると、ニューヨークでも話をしてほしいとオファーがくるようになりました。逆輸入的な感覚ですね。そんなこともあるので、今回出版させていただいた本をアメリカでも出版できればと思っています。

日下部アメリカ以外での活動もされているのですか?

志村ご縁があって2年前くらいからイタリアに行く機会が増えました。日本やニューヨークの講演会などで試すと、初めは半分くらいの人が倍音をキャッチできるのですが、イタリアでは最初からほとんどの人が倍音をキャッチできたんです。教会などで倍音を聴く機会が多いためか、耳が慣れているんでしょうね。
イタリアなら僕の演奏をもっと評価してくれるのではないかと思っちゃいました(笑)。

日下部ヨーロッパでは国を挙げて芸術や文化を大事にしていますが、クラシック分野における日本の対応はどうなのでしょうか?

志村日本では残念ながら、生きるために芸術や音楽が必要と考える人はまだ少ないですね。また元来日本人が大切にしてきた東洋の“気”や栄養の話のように、目に見えなくても何か大事なものが身体と調和して影響しているという概念が、教育から抜け落ちているように思います。

日下部それは確かにそうですね。

志村小さい子はよちよち歩きでも自然に身体を上手に使えるものですが、姿勢は良くすべきという常識にはめ込みすぎると、その人本来の自然体を失ってしまいます。
良くも悪くも、現代ではどうしてもそうなってしまうので、自分で気づいて取り戻していくしかありません。それには創造性が必要です。ただリラックスしていれば自然体になれるわけではなく、頭を使ってクリエイティブでいないと自然体では生きられないと思います。

日下部志村さんの本にも「枠が無いところで自由になるのは難しい。枠があるから本当の自由を実現できる」という深い表現がありましたが、私も納得できました。「いい姿勢は本当にいいのか?」ということも書かれていましたね。

志村音楽には楽譜という枠があり、また私たちには持って生まれた身体という枠がありますよね。どちらもその枠のなかで、ただのリラックスだけでなく良い緊張と弛緩、押すと引く、あるいは縮むと伸びるなどの様々な対抗しあう関係性があるからこそ、自由に、フレキシブルに「動き」を生み出していけるわけです。
人はただ立っていても座っていても決して止まっている状態ではなく、それ自体が「動き」です。全ては身体の中の関係性なんです。頭と首、首と背中、背中と腕・・・etc. 例えば肩が痛かったとしても、もしかしたらその原因は足の動きとの関係性にあるかもしれない。
“いい姿勢”という言葉には、何か正しい位置があるかのように感じさせるものがあるので、僕はなるべく使わないようにしていて、生徒たちには求めるべきは“いい関係性”だと伝えています。

日下部音楽家は志村さんお話を理解できる方が多いのでしょうか?

日下部淑美

志村わかる!と言ってくださる方が多いですが、自分を変えられるかどうかは別の話になります(笑)
自分を変えるには、今まで慣れ親しんだ動きのパターンを一度捨て去らなければならず、来週に大事な本番が控えている、というタイミングではなかなか難しいでしょう。なぜなら、心と身体は切り離すことが出来ない一つのものですから。身体が変われば心も、つまり音楽も変わってしまう。
自分を変えたいけど変えるタイミングが無かった人にとって、直ぐに結果を求められないこのコロナ禍は大きなチャンスだと思います。

キーワードは“全体性”。全部入れる、全部聞く、全部食べる

志村 寿一

日下部音楽療法があるように、人にとって良い音楽ってありますよね。モーツアルトの音楽はθ波が出ていると言われますが、以前志村さんが「モーツアルトの楽曲だから全てθ波が出ているわけではなく、誰が弾いたのかが大事だ」と言われたのを、今でも鮮明に覚えています。
素人には判断出来ないレベルで、身体は確実に波動の影響を受けており、基音だけではなく倍音だからこそ成し得る効果があると思いました。

志村一種類の栄養素しかないサプリを摂るのか、自然の野菜を摂るのかの違いに似ています。
野菜の栄養素には知り得ない成分もまだまだありますが、わからないけど全てを摂るから調和がとれるのだと思います。音楽も電子化が進み、人間の耳に聞こえない音域は削除されています。昔のレコードやカセットは音を切らずに人間が聞こえない音も全部入っています。
キーワードは“全体性”です。人間が認識できるものだけをいいと思って寄せ集めるのではなく、分からなくてもいいから全部入れる、全部聞く、全部食べる。という意識を大事にしたいですね。

日下部昔ながらの食事の知恵に“一物全体”という言葉あります。昔は魚も頭から尻尾まで全部食べていましたが、今は切り身で食べることが当たり前です。本来は丸ごと全部が理想的ですね。

志村作物にも音楽を聞かせると良いと言いますよね。

日下部水の結晶を使って証明した江本勝さんが有名です。良い言葉をかけると綺麗な結晶になり、悪い言葉をかけると醜い結晶になるのを写真集にしています。人間の身体も60~70%は水ですから、その人がいつも発している言葉や感情の波動を受けて、体内の水分状況も変化しているわけですよね。

志村健康番組がこれだけ話題になるご時世なので、口から入るものだけでなく、耳から入るものや身体が感じるものにも気を付けて欲しいですね。

日下部今は大学の授業もリモートですか?

志村はい。リモートにすると音の感度が鈍くなるので倍音そのものは聞こえないのですが、音色としてちゃんとリモートでも違いが感じられることが分かりました。今回それを発見できたことは収穫ですね。

日下部倍音は日本食のうまみ成分である“出汁”のような感じですね。料理と共通点が多いです。志村さんも良い音楽のためには、健康体がベストとおっしゃっていますが、ご自身の健康管理を教えてください。

志村ニューヨーク時代はアメリカらしい食生活で(笑)コレステロールなど、少し薬のお世話にもなりましたが、今は日本に戻って親と同居しているので、食生活が良くなり数値も改善しつつあります。食事は好き嫌いなく、何でもおいしく食べますね。

日下部それはいいことですね。食べながら文句を言っていると、身体に良いものも悪い作用になってしまいますからね。

志村強い運動はしませんが、毎日歩くようにしていますし、身体の使い方で余計なことをしていないか、調和がとれた動きをしているかは、24時間意識しています。

日下部身体の負担を減らせているようですし、ご自身が奏でる音楽が音楽療法になっていると思います。これからの展望を教えてください。

志村単純ですが、もっと上手くなりたいですね(笑)。人にとっても自分にとっても自然な音楽・音を奏でて、感じてもらえる音楽家になりたいです。それから、恥ずかしがらずに発信していくことを目標に、先日YouTubeを始めました。コロナが収まったらまたヨーロッパで演奏もしたいですね。
教育者としては、根気がいりますが、悩める音楽家を長く救っていけるように頑張りたいですね。

日下部今日は興味深いお話をありがとうございました。

志村 寿一・日下部淑美

日下部淑美からひとこと

音楽と身体の調和は、食事と身体の関係と似ていて、多くのことを料理に例えることができたり、考え方が共通している点がとても興味深いです。
全てのものが波動。身体を良くする波動はきっと味わい深い音なのだと思います。 食べ物の味わい深さも、化学肥料では作り出せない自然の微生物豊かな土壌からしか作られません。音楽の世界の“自然”も、また人に多大な良い影響を与えるのだと思います。
こんな時期だからこそ全身で聴ける音楽を味わってみてはいかがでしょうか。

会社データ 関連リンク

志村寿一オフィシャルサイト

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