今半の伝統とサービス力で日本に居ながら世界をマーケットに
株式会社人形町今半
代表取締役社長
高岡 慎一郎
すき焼の老舗今半。会社を継ぐことに葛藤しながらも、人形町今半の2代目として、お客様そして社員に愛情を注ぎ、世界も視野に入れる高岡社長。歴史と伝統に甘んじることなくお客様に選ばれ続けるその秘密とは?
息子が跡を継ぎたくなるような会社にしようと考えた
高岡 慎一郎
(たかおか しんいちろう)
株式会社人形町今半 代表取締役社長
明治28年に牛鍋屋からはじまり、現在5代目。人形町今半として2代目となる。歴史と伝統に甘んじることなく継続し続ける人形町今半は、牛肉はもちろん、サービスにも徹底的にこだわることで、お客様に選ばれ続け、日本に居ながら世界へとマーケットを拡大している。
日下部今半の系列はいくつくらいあるのでしょうか?
高岡5系列あります。大元は今半本店で、関東大震災でお店が焼失して土地が狭くなり、3つに分かれて、今半本店、今半別館、浅草今半として稼働するようになりました。
我々人形町今半は、昭和27年に浅草今半の支店としてオープンしました。独立したのが父の代で、昭和31年になります。江戸時代の人形町は人形芝居や浪花節の寄席などがあって、歓楽街として賑わっていたそうですが、この本店の建物はうちがお店をする前からあり、東京大空襲から免れた建物です。
日下部すごいですね。
高岡空襲により浅草は壊滅、隅田川まで火の海で、対岸の明治座や馬喰町の上の方も燃えていたそうですが、清洲橋通りという大きな通りがあったおかげか、人形町界隈だけ奇跡的に燃えず、今でも古い建物が残っています。
日下部ここは守られているパワースポットですね。人形町今半としては高岡さんが2代目になるのですか?
高岡明治時代に牛鍋屋からスタートし、その後に今半となってからは5代目になります。
日下部牛鍋屋から進化したのですね。ご兄弟はいらっしゃるのですか?
高岡弟が一人います。
日下部ではご長男ということで会社を継がれたのですか?
高岡洗脳教育で自然と継ぐことになりましたが、それまでは反抗して逃げ出そうと必死でした。(笑)
小学生の頃は、なんとなく継がないといけないのかと思っていましたが、中学時代は継ぐことに疑問を感じ、高校時代はどうにかして継がずに済む方法はないかと考えるようになりました。
私の子供の頃の夢がパイロットで、本気で航空大学に行こうと考えたこともありましたが、大学に入ると諦めがついて、“継ぐしかないか・・・”と思うようになりました。
日下部では他の会社に就職せずに、そのまま人形町今半に就職されたのですか?
高岡いえ、最初は将来的に活かせると思い外食産業を中心に就職活動をして、すかいらーくグループのジョナサンから内定をもらっていましたが、本当にしたいことを父に聞かれ、情報産業やコンピューターだと伝えると、俺の知り合いの会社を紹介するからと、父自らジョナサンに行って断ってしまったんです。
当時のジョナサンの社長と父が知り合いだったそうですが、結局、父親の引いた路線に入るために、父親の知り合いの会社に入れられてしまいました(笑)。
日下部そうだったんですね。
高岡入社して1か月で日本電気本社に出向になり、社内調整をはじめとした大企業の仕組みを勉強することができました。
新入社員の営業マンはシステムにあまり詳しくないので、エンジニアや販売促進部に助けを求めるのですが、彼らは職人気質なので「自分で勉強しろ」「そんなことも分からないのか」と言われてしまう。そうなると新入社員は何も聞けなくなってしまい、あやふやなまま仕事を続けることになるのですが、それがうちの会社の調理場とサービス員の関係と同じでした。我が社は調理場スタッフが少し強面だったため、サービス員が一歩引いてしまうような雰囲気でしたが、きちんと調整することで風通しの良い職場になりました。
スタッフ同士の信頼関係が出来ていないと、お客様には良いサービスをご提供できないということを、大企業での経験のおかげで、身をもって活かすことができました。
日下部大企業での仕事はどれくらいやられたのですか?
高岡最初の5年間は他の会社で働くという約束でしたが、3年目くらいから父親に帰ってこいと言われ続けて、結局4年で退職しました。
日下部今半に入社後、すぐに社長に?
高岡いえ、仕入れや営業など、現場の仕事を一から勉強し、4~5年たった31歳の時に、ようやく店長として新しいお店の立ち上げに関わりました。
日下部若いですね。31歳で店長だと、周りのスタッフの方が年上だったりしますが、何か大変だったことはありますか?
高岡年上だからといって、あまり気にはなりませんでしたが、自分が飲食店のオペレーションを全く知らない状態で店長になったため、随分と周りに迷惑をかけてしまいました。
日下部伝統と格式のあるお店なので、作法含めて教育は大変そうですね。
高岡そうですね。当時任された店舗は215坪のお店で、登録社員数も90名くらいの巨大なお店だったのですが、女性が多かったために派閥ができて、人間関係の難しさに苦労しました。
日下部確かにそれだけの人数だと派閥ができますね(笑)。しかし、その規模だとお店の現場に入るより指揮管理が仕事ではないのですか?
高岡忙しいときは現場に入ることもありましたが、私がオーダーをとるとミスが出ることが多くて(笑)。周りも変な忖度が出て手伝ってくれませんし、店長はきっとわかっているから大丈夫だと思われていて、間違いを指摘してもらえませんでした(笑)。
日下部人形町今半に入社してからは抵抗することもなく、継ぐことを受け入れたのですか?
高岡継ぐことに関して抵抗はしませんでしたが、父に対しては反発するような意見ばかり言っていました。
父のすごいところは、息子と戦おうとしないところで、私が意見を言っても、何も言わずにその場からすっと立ち去ってしまうんです。また逃げた・・・と当時は思っていましたが、今は最高の術だと思いますね。息子の意見を決して認めるとも認めないとも言わずにいなくなる。暖簾に腕押しの世界です。私の知り合いの経営者の中にも息子さんと戦っている方がいますが、戦わない方がいいよとアドバイスしています(笑)。
日下部意見してくれる息子というのは嬉しいものなのでは?
高岡だいたいの息子は言えるものです。言えないくらいワンマンでは息子は成長しませんから。
男の子はある年齢になると、反発心と自分のほうが出来るという思いもあり、父親に文句ばかり言うようになります。そのときに父親は息子の戦いには乗らず、戦わずして見守る。うちの父親は否定も肯定もせず任せるという方法をとりました。
日下部高岡さんにも息子さんがいらっしゃいますが、息子さんを洗脳しようとは思わなかったのですか?
高岡自分は洗脳されて嫌な思いをしたので、息子には一切継いでほしいということは言っていません。その代わり、息子が跡を継ぎたくなるような会社にしようと考え、絶対この会社に入らないと損だと思わせました。
息子は今、他の会社で修業しており、あと3年で戻ってくる予定です。最初から今半に就職してもよいと言ってくれましたが、他の世界を経験できるせっかくのチャンスなので、外で勉強してこいと伝えました。
日下部後継のことは難しい問題ですが、ご子息が継いでいくというのがやはり一番なのでしょうか?
高岡正解はわかりませんが、中小企業であれば家族で継承していくのが一番だと思います。創業や事業への思いは同じように引き継げるものではありませんので、託すというのも勇気がいると思いますね。
冷蔵庫がない家庭にショックを受けた。
社員の子供達には教育の自由を与えてあげたい
日下部社長を継がれたときはどのような思いをお持ちでしたか?
高岡当社は分かりやすく数値目標は掲げますが、それよりも“働いている社員をどうやったら豊にできるか”ということを重要視しています。
私が幼少期、まだお店が1店舗で社員も18人ほどしかいなかった時代、ほとんどの社員は貧しくて旅行に行くこともできませんでしたので、年に1度、会社負担で社員旅行を催していました。
旅行には母子家庭の子供達も参加しており、子供同士の会話の中で、冷蔵庫がない家庭があることを知りました。当時は昭和40年も過ぎ、各家庭には普通に冷蔵庫がある時代でしたので、その話はとてもショックでした。私はお陰様である程度裕福な暮らしをさせてもらえていたので、苦労などはありませんでしたが、大変な思いをしている人達が、社員としてこんな身近にいることが許せませんでした。
日下部立派な考え方ができる子供だったんですね。
高岡子供なりに貧しさや苦労が心に響くことがあります。自分が会社を継いだら、社員の子供たちに“自由”を与えてあげたいと思っていました。自由というのは、私学や習い事に行きたいなら行かせてやることができる、やりたいと思ったことをやらせてあげられるなど、子供にお金を使えるような支援したいと思っています。
日下部素晴らしいですね。
高岡今OECDの中で日本の相対的貧困率が15%で、7人に一人は貧困だそうです。これは先進国としては高い数値だそうですが、見た目で貧困かどうかを判断することは難しいそうです。普通の子供達は放課後に習い事などに行くことができますが、相対的貧困の子供達は習い事に行くことができません。周りが習い事に行っている中、自分だけが行くことができないと、その子は“なんで自分は習い事に行けないのか?”と思い、しまいには“どうせ自分なんて・・”と思い込んでしまいます。
そういう子供たちが社会に出て、ちょっとした壁にぶつかると、その壁を乗り越えられない大人になってしまう確率が高い。そのような家庭に金銭的な支援をしても、学費ではなく生活費になってしまうそうです。
これを聞いたとき、少なくともうちの社員には、子供に教育の自由が与えられるような収入を約束したいと思いました。
もちろん大企業のようなお給料は難しいかもしれませんが、プラスαの生活ができるような会社にしたい。うちは高単価のお店ばかりですが、低単価にすれば、人件費を減らすためにパートさんをたくさん雇わなければなりません。でも相対的貧困で一番多いのがパートタイマーで働いている母子家庭です。社員がハッピーでなければお客様もハッピーにできませんので、当社はできるだけ正社員で雇える会社でありたいと思っています。
日下部なるほど、社員が幸せになればお客様も幸せになる。では人形町今半がお客様に受け入れられている理由は何だと思いますか?
高岡飲食店が提供する料理は、同じような単価なら料理にさほど差は出ません。一番はいかにおもてなしの雰囲気で接客できるかが勝負だと思っています。接客はマニュアル化ができない難しい部分が沢山ありますので、料理がおいしいのも嬉しいですが、接客が良かったと言われる方がもっと嬉しいですね。
9月25日の日本橋高島屋店オープンに向けて、今研修をしていますが、研修で一語一句覚えても実際にお店がオープンしたらそれを自分の言葉で伝えていくことが大事です。自分の言葉でなければお客様にはうまく伝わりません。すき焼はお客様の目の前でお焚きしますので、スタッフはみな一番美味しいすき焼を提供しようと、高い意識で真剣にやってくれています。そんな気持ちもまた、お客様に伝わっているのではないでしょうか。
日下部他の業態をやってみようと思ったことはあるのですか?
高岡常に考えています。この近くに昭和8年から続いている洋食屋があるのですが、ご主人が亡くなり奥さんも辞めたいと言うので、うちが引き継がせていただきました。今リニューアル中ですが、この洋食屋さんをこの人形町から無くしたくないという思いだけでやることにしました。それから名古屋で高級しゃぶしゃぶのお店をオープンしました。
日下部社長になられてから、苦しかったことはありますか?
高岡私は2001年の6月に社長に就任し、その3ヶ月後に発生したBSE(狂牛病)ですね。あの時は本当に危機でした。3ヶ月間はまったくお客様に来ていただけず、通常の状況に戻るのに約1年かかりました。
その危機的な3か月間は10月、11月、12月と、当社にとって一番売り上げが見込める時期でしたので、会社の存続が危うくなるレベルでした。年明けから少しずつお客様が戻り始め、お肉の販売に関しては5月から通常の調子となりましたが、飲食店は接待利用が多いので、ちょうど1年はかかりましたね。
日下部社長になってすぐの危機とは大変でしたね。
高岡約1年半、給与をカットせざるをえなかったのですが、従業員は誰一人辞めませんでした。あの頃は景気も良く、どこにでも転職できたはずなのに、皆残ってくれたのです。その時、“社員が本気で会社を助けようとしてくれている”と感じました。
あの危機があったからこそ、従業員との絆が生まれ、従業員のことをより考えられるようになりました。創業者一族は、ついつい自分達のために会社があるように思いがちですが、会社は社員のものだと強く感じましたね。
弊社の経営理念に「お客様第一主義」というのがありますが、“お客様第一主義は、社員第一主義のことを指す“と教育しています。社員がイキイキワクワク働いていなければ、お客様第一主義はできませんので、「私は社員のために働く、その代わり君たちはお客様第一主義をやって欲しい」と社員の皆さんに伝えています。
日下部素敵ですね。そんな社員思いの社長ならついていきたいですね。
高岡創業社長であればもっと我を強くやっていく必要があるのかもしれませんが、私は2代目でしたからそう思えるのかもしれません。世代で経営者の役割も違ってくるのだと思います。
私が社長に就任してから、財務や店の出店方法、社員の教育方法など、父の代でやってきた様々なことを整理し、真ん中にあった綺麗な部分を取り出すことをやってきました。余計なものにお金を使わなくなったため、お陰様でよい結果が出せています。
また、当社は全体を俯瞰的にみられる管理職候補の人材を求めて、2000年より大卒を採用するようになりましたが、採用してから会社の雰囲気はぐっと良くなりました。専門学校からの本気で調理を極めるような人材は我々にとってなくてならない宝の存在ですが、そこに大卒の人材が加わることで活力のようなものが生まれました。
特にすごいのは女性の力です。それまで女性の採用については躊躇していた部分があるのですが、採用してみると、職場を華やかで明るくするパワーがありました。今は女性を採用すればするほど会社がどんどん良くなっていきます。
弊社では産休制度や育児制度が整っていますので、出産に伴って辞める人はまずいません。もちろん時短で働いてもらうことになりますので、会社側にはコストがかかりますが、会社を辞めない雰囲気ができたことで、社員全員の帰属意識が高くなりました。会社は男女それぞれの持ち味や力を合わせることが大事ですね。
日下部人材を集めるのは大変ですか?
高岡大変ですね。人手不足は日本中起きていますが、少子化と言いながらも、東京では人口が増えています。景気が良いので各企業の募集も多くなり、それ以上に採用する人数が増えているということです。
日下部昔は主婦がお金を稼ぐといえばパートに出るという発想しかありませんでしたが、今は働き方も多岐にわたり、家にいながらネットで中古品を売ったり、YouTuberがいたり、株で稼いだりと、外に出ずとも収入を得ることが可能になりました。
高岡飲食業は“人が資本”ですので、人に投資をするような仕組みが必要だと考えています。人に投資をすれば、事業はその人が創ってくれる。メーカーは機械を磨き上げますが、我々のようなサービス業は人を磨き上げなければなりません。
日下部人に投資ですね。今、社員にどのような投資をされているのですか?
高岡研修はほぼ社内でやっていますが、時々外部の講師にお願することもあります。お酒の研修で酒蔵に行ったり、ワインの研修でブドウの収穫に行ったり、牛肉の見極め方などの研修もしていますね。
それから今必要だと感じるのは英会話研修です。これまで英会話は自分で勉強するものだと思っていましたが、今は外国人のお客様も多いので、会社全体で取り組まなければならなくなりました。
日下部私が以前大手企業に勤めていたときも、仕事の一環で英語を必要とする方は、仕事の合間に英会話の勉強をされていましたね。
高岡仕事の一環といえば、当社では毎朝5分間の朝礼を以前は就業前の8時55分から行っていましたが、今は就業時間の9時から始めるようにしました。また毎週金曜日の全体清掃も就業時間内に行っています。
それから、国がいろいろな制度を設けてくれるので、それに率先して取り組む努力や、産業医に各店舗を回ってもらい社員を診ていただくようなこともしています。
経営計画書に必ず健康管理の一文を載せる
日下部健康に関してご自身では何か気をつけていることなどはありますか?
高岡数年前に回りにいる58歳の方ががんで次々と亡くなったのですが、皆さん健康診断をしていませんでした。隠れ不健康な人は必ずいますから、常に健康に関しては意識しています。まあ、そう言う私も実はいろいろな病気をしていますが(笑)
日下部そうだったのですか?
高岡会社で脳ドックを受診できる制度を導入したのですが、検査をしたところ私自身に狭窄があることがわかりました。それから4年ほど経過観察をしていましたが、2011年に旅行へ行った際、酷いめまいで翌日早々に帰宅し、MRI検査を受けました。翌日結果を聞きに行ったら、軽い脳梗塞でした。
それから急激に頸動脈狭窄が進んだため、医師からの勧めで手術をすることになりましたが、この手術をしていなかったら、もっと重度の脳梗塞になっていた可能性があったそうです。
日下部そうだったんですね。
高岡それから2年ほど、管理栄養士さんに食事のことを教えてもらいながら、体の管理をしてきました。今でも食事の調整は続けていて、体重も維持していますが、以前は仕事柄、お付き合いで外で食べる機会も多く、強靭な胃を作るために、一生懸命食べて胃を広げようとしたり・・・。食べることに勝負をかけていました(笑)。
食事管理を始めてから、管理栄養士さんに褒められるのが嬉しくて頑張ってきました。男は単純です(笑)。
日下部人は病気をしないと本気で健康に気を使いませんよね。改善してまた元の生活ができるなら良いですが、そうじゃない人もたくさんいらっしゃいます。死ぬこともできず、自分で食べることも体を動かすこともできない。私はそういう人を一人でも減らしたいですね。
他に何か取り組んでいることはありますか?
高岡運動ですね。東京マラソンは2回、かすみがうらマラソンは1回出場しましたが、ウェークボードをやって膝をひねってから走れなくなってしまいました。今は良いパーソナルトレーニングの先生との出会いがあり、週1~2回ジムトレーニングをしています。
日下部従業員の皆さんにも健康管理を促しているのですか?
高岡はい、弊社の経営計画書に必ず健康管理の1文を載せています。
日下部それは素晴らしいですね。最後に今後の展望を教えてください。
高岡東日本大震災のとき、日本に居た外国人の方が、日本を離れて行きました。いろいろな支援活動をさせていただきましたが、被災地で喜んでくれたのはその瞬間だけでした。
もっと継続的に日本を元気にしたいと考えたとき、人形町今半のお店が世界中から憧れられて、日本に行く目的が人形町今半に行きたいと思ってもらえたら、また日本に戻ってきてくれるのではないかと思いました。
海外出店のお話もたくさんいただきますが、海外出店は社員への負荷が大きすぎます。そんな時、安倍政権のインバウンド戦略が浸透してきたおかげで、海外のお客様が非常に多くなりました。
日本に居ながら世界中をマーケットにする。我々が世界に出ていくのではなく、来たくなるようなお店にしたいですね。
すき焼を目の前でご提供するのは、手間もかかり大変ではありますが、だからこそ他では真似が出来ない業態だと思っています。すき焼と言えば“人形町今半しかない”と思っていただける、世界一のお店にしたいですね。
日下部今日は素敵なお話をありがとうございました。
日下部淑美からひとこと
世の中にたくさんのお店が軒を連ねていますが、誰もが知っているお店を作り上げるというのは、奇跡に近いことなのかもしれません。一つのことを何世代にも渡って貫き追及してこそ叶う老舗の重み。フットワークが良いから世界展開ビジネスがうまくいくこともある時代の中で、日本に居ながら世界をマーケットにすることも可能なのだという老舗の強さを教えていただきました。
日本が世界に誇れるお店があるって素敵ですね。
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