自分で新しい事業を考えるのではなく、お客様の声に耳を傾けることが大切
株式会社日本カーゴエキスプレス
代表取締役社長
鈴木 隆志
銀行を辞め父親の運送業を引き継ぐも、様々なプレッシャーから脳梗塞になってしまった鈴木社長。創業メンバーからの一言で、社長としての役割を見直すことができたという、厳しい運送業界を生き抜くための経営術とは?
父の仕事を引き継ぎ社長に就任。事業の柱は運送からアウトソーシング事業へ
鈴木 隆志(すずき たかし)
株式会社日本カーゴエキスプレス
代表取締役社長
時代に先行した輸送手段の開発を経営理念として業務を拡大し、梱包作業の発送の請負、包装材料の販売、陸上輸送の取扱、海外到着貨物の解体、特殊資材の企画販売を開始。
「物流を通して企業を守る」という使命のもと邁進している。
日下部鈴木さんは2代目社長として先代のお父様から仕事を継承されたわけですが、親の仕事を引き継がない選択肢もあった中で、どんな想いでこの道を選んだのでしょうか?
鈴木僕は長男なので、いつか父の仕事を継ぐのだろうと漠然と考えていましたし、父親も僕に継いで欲しかったようで、友達作りやリーダーシップについて、日常的に話を聞かされていました。
中卒だった父は、20~30種もの仕事を経験し、“これは自分に合っているかもしれない”と思えたのが運送会社のドライバーの仕事だったそうです。
あるとき、勤めていた会社が運送部門を売却することになり、一生懸命働いていた父に独立しないかと白羽の矢が立ったのが、この会社がスタートです。
日下部そうだったんですね。
鈴木僕はそもそもマーケティングの仕事をしたかったので、いくつもの面接を受け、食品メーカーのマーケティング職の内定をもらったのですが、父親が「その会社に行きたい気持ちもわかるが、お前の成績じゃ銀行には就職できないよな」と言われたんです。
内心、“ちくしょう!銀行の内定もらって、それを蹴って、自分の好きな会社に行ってやる!”と思い、銀行の面接を受け、当時の富士銀行の内定をもらいました。
その当時の銀行はエリートで脚光を浴びている職業だったので、だんだん気持ちが傾いてしまい、結局銀行に就職しました。
しかし平成元年に父親がクモ膜下出血で倒れ、昨日までの元気な父親とは別人になってしまったことから、僕も親の事業を継承しないといけないという想いが強くなり、平成3年に銀行を退職してこの会社に入社しました。
日下部そうだったんですね。平成3年というのは鈴木さんがおいくつのときですか?
鈴木28歳です。
日下部まだ若いですね。28歳で社長を継いだということですよね?
鈴木そのときはまだ父も生きていたので、すぐに社長就任したわけではありません。しばらく社員として働いたあと、平成5年に代表取締役副社長、平成7年に父が他界して社長になりました。
日下部主な事業を教えてください。
鈴木僕が入社したときは、社員30人程度の会社で、8~9割が国内航空貨物を中心として運送業務でしたが、現在の主な事業は運送に加え、包装資材の販売や倉庫事業、会社の社員に代わり社内のメール書類を仕訳する業務等で、都内25ヶ所から請負っています。今は社員が150人になりました。
日下部私が以前勤めていた会社でも、本社や事業所、工場への書類配達は、業者さんが専属で対応してくれていました。
鈴木当社は企業の内部に入って、仕分け業務をさせてもらっていますが、もともとはそういう仕事を無償で請負うことで、運送の仕事が確保できたんです。しかし、運送代も値下がりしてきた中で、そのやり方では事業として成りたたなくなくなりました。ただニーズはあり、サービスとして成り立つこともわかったので、一つの事業形態として、切り離して提案するようになりました。
日下部なかなかニッチな仕事ですよね。
鈴木この業務を専門に行っている会社は他にはないですね。業務の重要性やセキュリティ的な部分も含め、理解している会社も少ないと思っています。
日下部大企業を経験していないと、このようなニーズを把握することはできませんし、ご縁がなければ業務として始められないカテゴリーですよね。
鈴木これまで日本の会社では、このような業務は社員が担当していました。何故ならそこには情報が集中する部分だから。僕らがクライアント企業の社員よりも先に人事や組織変更を知ってしまうこともあるわけで、そんな重要な部分をアウトソーシングすることは、あまりありませんでした。
でもそれをアウトソーシングするということは、実はリスク回避などBCPの要になったり、日常業務をスムーズに回すための非常に大事な部分でもあるわけです。書類が届かず滞っていては仕事まで進みませんからね。
日下部本当そうですね。
鈴木それから、雑誌やネットで地震がくるかもしれないという情報があると、それに合わせて避難訓練をする企業がありますが、そのお手伝いをしたケースもあります。お客様とお付き合いをしていると、それぞれの考えていること、ニーズを把握することができるので、それらをまとめて情報提供したり、サービスに活かしたりしています。
我が社のミッションは『物流を通じて企業を守る』なので、お客様のためになる、喜ばれるということは当たり前で、さらに“守る”という意識で仕事に取り組んでいます。
日下部物流と一言でいっても、幅広い範囲で仕事があるのですね。知りませんでした。
鈴木業務の中のTOPが経営職階にならないような仕事は全部アウトソーシングをし、プロのスキルを享受したほうがよい”とドラッカーも論文を発表していますが、そういうことをお客様に提案してみると、その業務は社員が避けていたと言う問題や社員で行うので正確性が担保されないとか人件費等の面で悩みを持っている企業さんが多いことがわかりました。
日下部説得力がありますね。専門職カラーの強い企業では、特に受け入れてもらえそうな提案ですね。
お前は課長や部長と同じように、社長という役割をやっているだけだ
日下部今でこそ様々な事業展開をされていますが、社長就任当初はご苦労も多かったのではないでしょうか?
鈴木当時はどんなに発想力やプレゼン能力があっても認めてもらえませんでしたので、誰よりも早く会社に出社し、誰よりも遅くまで残って仕事をすることを徹底しました。
たたき上げのベテラン社員は職人気質的で、自分の仕事を全うしている限りとやかく言われる筋合いはないという意識があるため、誰よりも仕事をして、みんなが嫌がる仕事も率先してやり続けました。
たとえば、朝4時、5時の配達は誰もやりたくない仕事なのですが、当時僕は部長という立場ながら、誰もやりたくないなら自分がやるという意識を示していくことで、みんなにも頼られるようになりました。またお客様のクレーム処理など、難しい仕事にも対応するようになって、ようやく認めてもらえるようになりました。
日下部信頼を得て認めてもらうには、態度で示すことが大事なんですね。
鈴木周りに認めてもらえるようになり、その後社長に就任したのですが、当時、東京~大阪を2kgの荷物で1600円だった運賃が、大手の運送会社の価格競争であっという間に500円になってしまい、会社としては大きなダメージを受けました。
先代の父は、“良いサービスを提供していればお客様はついてくる”という思想でしたので、会社に営業部はありませんでした。もちろん父の言っていることは間違いではありませんが、抜け落ちていくお客様を止めることができないため、僕が社長になって最初に取り組んだ改革が営業部門の確立でした。役職の見直しも着手しました。それでも値下がりの影響は免れることができず、2年間で5000万の赤字です。
社員が30人いれば、その30人に家族がいて、簡単に計算しても120人は雇っていることと同じなんだ・・・そんなことばかり考えていて“どうしようどうしよう”という毎日でした。
そんなときに、先代の創業メンバーの一人から「お前さ、会社が自分の背中に全部かかっていると思っていないか?」と言われました。僕は「もちろん思っていますよ」と言ったら、「お前は課長や部長と同じように、社長という役割をやっているだけの話だ。もしお前がその役割を果たせないなら、俺はどんな手を使ってでもお前を社長から降ろす。目の前の材料を使い、いかに事業を回すかということに集中しろ」と言われました。
僕は今まで、責任はすべて自分が負わなければと思いやってきましたが、他人の人生まで背負っていると考えるのではなく、目の前の仕事とお客様の喜び、社員のスキルアップだけを考えるようになりました。
この一言で、肩の荷が降りたというか、気持ちがとても楽になり、職務として社長を全うするというシンプルな考えになりました。
日下部その方の存在は有りがたかったですね。
鈴木社長になって1年が過ぎた頃、頭痛が1ヶ月ほど続き、そのうち眩暈もしだしたので、これはおかしいと思い耳鼻科や内科に行ったのですが、治りませんでした。
あるとき、帰宅してお風呂に入ろうとしたら冷たかったので、妻に「沸いていないじゃないか」と言ったら妻に「沸いていますよ」と言われて・・・結局僕の感覚がマヒしていたんです。それが32歳のときで、すぐに病院に行きMRI検査したら、脳梗塞と診断され、そのまま入院となりました。
日下部それは大変でしたね。仕事が大変だった影響もあったかもしれませんね。
鈴木1か月間くらい入院しましたが、そのとき考えたのは“自分だけではどうにもならない”ということでした。自分だけでやるのではなく、任せるということにようやく気づきました。
それから麻痺が取れるまでに10年くらいかかり、後遺症にも苦しめられました。無理をするとすぐに体調が悪化してしまうため出歩くこともできず、何も楽しめない日々が続いたので、メンタル的にも滅入っていましたね。もちろんリハビリはやっていましたが、基本的に運動は制限されていたので、ゴルフもやめてしまいました。8~9年たったころ、麻痺のために微妙な感覚のスポーツはできず、でも何か運動をしなければと思っていて、左右の足は前に出す事ができると気がついたんです。それで無謀にも、第1回目の東京マラソンに応募し当選してしまいました。
運動の制限をされていたことは妻も知っていましたので、最初は大反対されて「何馬鹿なこと言っているの?!」と言われましたが、すでに出場が決まっていたため、妻に内緒でこっそり練習をして、大会の半年前には10km、さらに練習を重ねて遂に完走まで達成しました。
それから5年間で14回のフルマラソンに出場して完走しました。でも、故障して3か月休むとゼロの状態に戻ってしまう。長く続けられるものを考え、今度はテニスを始めたんです。
日下部では、鈴木さんが病気を克服してから、今は、まだ10年くらいということですよね?
鈴木そうですね。他にも精神的にも麻痺もきつかったせいか過敏性大腸炎になり、人前で話をすることが苦痛になってしまったんです。神経内科や精神科にも通いました。人前で話している途中でお腹痛になることが重なり不安だったのですが、慣れるしかないと考え、そういう機会を積極的に受け入れることで、いつの間にか大丈夫になりました。
結局は精神的なものだということは自分で理解していました。何故かというとお酒を飲むと平気でしたから(笑)
日下部自分の思考が招いていたことは間違いありませんが、病気になったことで、考える時間や気付きを与えてもらえたんですね。
鈴木こういう経験をまとめて、企業後継者に大学院で話したりしています。
日下部食事の管理はどうされていますか。
鈴木食生活で健康の維持をするのはなかなか大変です。僕は付き合いが多いので、家で食事をするのは週に1回くらい。あとはほぼ外食で、量は以前より減りましたが、お酒も毎日飲んでいます。
日下部お付き合いが多いと難しいですよね。
鈴木健康維持に関しては、自分なりにいろいろトライしています。マラソンをしていたので痩せたのですが、停滞期なったときに断食にトライしました。伊豆高原の断食施設に1週間籠るのですが、やることがなくて暇なんです。仕事ができるように資料なども持ち込んでだのですが、お腹が空くと何も考えられなくて、宿にあった漫画や雑誌を読む程度でした(笑)。そんなときにダイビングのチラシが目にとまり、こっそり体験しに行ったらバテて死にそうになりました(笑)
日下部断食中の激しいスポーツは勧められないですが、チャレンジャーですね(笑)
鈴木断食すると胃腸の調子が良くなるので、1年おきに3日間の断食をして、調整するようにしています。それから去年くらいから、炭水化物の量を減らすようにしています。
日下部糖質制限は極端にやってしまうと、リバウンドや体に支障が出る場合もありますので、鈴木さんのように適度な調整はとても良いと思います。
お客様の信頼を得て“ありがとう”の連鎖があり、社員や家族が幸せであればいい
日下部今後の展望を教えてください。
鈴木僕はゼロから10を作るタイプではありませんが、10を12にすることはできると思っています。会社の存在価値は、会社の大小ではないと思っています。沢山の社長さんとご縁をいただきましたが、素晴らしい社長さんがみな大企業というわけではありません。ある程度の企業規模や収益は必要ですが、お客様の喜びや信頼を得て“ありがとう”の連鎖があり、なおかつ自分の社員や家族が幸せであればよいと思っています。
日下部維持ができるのは、日々の小さな進化があって成せることだと思います。何もしなければ衰退していく。会社を30人規模から150人規模まで成長させてきたということは、日々の進化は相当なものではないでしょうか。
鈴木事業というのはどんなビジネスモデルでも5年くらいすると陳腐化するので、5年後には新しい取り組みをし、3年毎にブラッシュアップという意識を持つことがとても大切だと思っています。これができないと少しの発展も出来ない。自分で新しい事業を考えるのではなく、お客様の声に耳を傾けることが大切なんです。
お客様の「こんなことやってもらえないかな?」「こういうことに悩んでいるんだ」という声から生まれたのが、今事業として大きくなっているメール室の請負事業です。それも更にサービスの付加を増やし、ニーズに応えていけるように日々進化しています。
日下部最近はAIやIoTの影響で仕事の6割がなくなっていく時代と言われていますが、鈴木さんの業界では変化がありますでしょうか?
鈴木時代の流れというのは確かにありますね。今はネットショッピングが隆盛の時代ということもあり、周りからは運送業は忙しそうだね・・と言っていただけます。しかし人が食べることをやめないのに、目の前の飲食店が無くなっていくように、業界全体で物事を判断することは決してできないので、自分達の役割を明確にし、取り組む必要があると認識しています。
現実問題として、これだけ配送が多忙にも関わらずドライバー不足でどこも悩んでいます。無人ドライバーということもこれからはあるかもしれませんが、現状は人手が足りていません。若い人は車の免許すら取得しない人が多く、年配のドライバーが多くなっていますので、今後運送屋は成り立たなくなる可能性もあります。間違いなく今のコストでの運送はできなくなるでしょうね。
その畑で僕が戦うことは難しくなりそうですので、そういうことを見越しながら自分たちの強みはどこにあり、何ができるのかを見定めて行く。時代が変化すると、クライアントさんのニーズにも変化が現れます。だからこそ、お客様のニーズをいかにキャッチアップできるか、耳を傾けられるかがキーになりますし、それをやっていくことが小回りのきく僕ら中堅企業の役割だと思っています。
日下部人が不要だと思っていても、いざとなると必要であり、それから人を集めようとしても間に合わない可能性がありますよね。
鈴木実際の企業の現場と経済評論の考えが違うことも多く、最近は人材の確保も難しくなっています。
日下部人材確保や流出予防のために取り組まれている工夫などはありますか?
鈴木“会社を好きになろう運動”をやっています。今年の年頭の挨拶で「今年はみんな会社を好きになってください」と挨拶しました(笑)
去年1年間、役員や部課長が集まり、会社の良いところや悪いところを思いつくまま挙げ、それを冊子にまとめた“アピールブック”を作成しました。これを現場にも配り、社員が自分の友達に我社を紹介できるようにしています。
日下部それは素晴らしい取り組みですね。
鈴木会社の悪い部分は目につきやすいのですが、良い部分は会社から離れて初めて気付くことが多く、辞めた社員が他に就職して初めてうちの良さに気づき、戻ってきてくれるケースもありました。それなら最初から良いところをアピールしていこうと思ったんです。未熟なところも隠さずに、何年後までに改善すると明確に打ち出してしていくことで、我々も改善の取り組みを滞ることなくやれるようになりました。
日下部会社も努力をしていることを示せますし、双方にとって良いことですね。私が以前勤めていた会社にはアピールブックのような資料はありませんでしたから、紹介したら○万円!みたいに、すべてお金で片づけていましたね(笑)。
鈴木そういう時期もあったようですが、今はそれでは立ち行きません。日本の場合、採用活動は約70%が広告募集だと言われていますが、アメリカでは70~80%が紹介縁故なんです。本当に会社を理解して入社しなければいずれ辞めてしまいますので、こういった資料はアメリカ型の採用形態に活用できるのかもしれません。
日下部息子さんがいらっしゃるそうですが、やはり将来は後を継がせたいという思いはあるのですか?
鈴木今大学生ですが、社長というのは決して楽な仕事ではありませんし、向き不向きもあると思いますので、こればかりは押し付けるわけにはいかないですね。
日下部鈴木さんのようにご自身も後継者だったからこそ、理解できる部分ってありますよね。
鈴木残念ながら、一つの企業しか知らないと仕事人として成長しづらいものです。特に大きな組織は経験した方がいい。僕も銀行時代があったから、朝早くから遅くまで仕事することができましたし、定時で帰る人にはそういう発想も出てこないと思います。周りから学ぶことの方が本当に多い。それから2代目としての考え方は、同じような境遇の若手経営者仲間と意見交換をする中で学べたことが沢山あります。
日下部同じ境遇だからこそ分かりあえる。鈴木さんも銀行時代を経験してよかったですか?
鈴木良かったですね。その経験があったからこそ、親の会社では経験できないことを学び、それが後に活かされましたからね。
日下部今日は素晴らしいお話をありがとうございました。
日下部淑美からひとこと
社長と一言で言っても、タイプは人それぞれ。自分のできること役割を認識し、周りの協力を得ることがとても大切だと鈴木社長はおっしゃいます。
2代目という立場だからこそのプレッシャー、ご自身の病気から何を学び、どう自分を変えていく必要があるのか。
自分の人生や置かれた立場を悔やむ人が多い中で、すべてを学びとして活かしている鈴木社長。
親の立ち上げた企業だから同じようにするのではなく、自分らしく自分の人生を作っていくものだと教えていただきました。
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