諦められなかったものづくりの仕事。“光”で世の中の役に立ちたい

レボックス株式会社 代表取締役

鎌田 英洋

倒産寸前まで追い込まれながら、検査機器向け照明の領域で世界のトップメーカーにまで成長したレボックス株式会社。世の中の役にたつものづくりを諦めなかった鎌田社長にその想いをお聞きしました。

ものづくりがしたくて、お金も信用もなく起業。白色LEDで光の世界へ入っていった

鎌田 英洋

鎌田 英洋(かまた ひでひろ)

技術の進化に伴い多くのイノベーション技術が誕生する中、それを支える技術の一つが“光”。その光に着目し、検査機器等に重要な光製品の提供するレボックス株式会社を設立。社員46名という規模で世界一の製品を作り出すイノベーション企業として成長し続けている。

日下部起業に至るまでの経緯などを教えてください。

鎌田2001年1月に起業したものづくりの会社です。社員46名、売上9億程度の規模で、今年17期を迎えます。
自分は北海道の美瑛町で農家の長男として生まれ、親の方針もあって5歳まで何をしても叱られず、自由に育ちました。特に祖父に可愛がられていましたね。
父が病で農家が出来なくなったとき、残された僕たちが生活できるようにと祖父が農家をやめて札幌にアパートを建ててくれました。
その後、大学を卒業し、東京の八重洲にある大手機械商社に就職したのですが、配属されて3か月で、どうもしっくりこなくて・・・。人事部が責められてしまうくらい、会社に合わない人材でした。
会社では常識がないと言われ、といっても自分ではそう思っていないのですが(笑)、お客さんの中には面白いねと言ってくれる方もいて、売上もあげていました。
しかし上司は僕がどうしても気にいらないらしく、3年目に地方に飛ばされ、“この会社でうまくやれる気がしない”と5年目に転職しました。
日本ではなく海外に行こうと思い立ち、ご縁あってフィンランドの白松から住宅用の建築製材をつくる会社に就職したのですが、為替の急激な変動で、半年で会社が閉じることになってしまったんです。さすがに日本への帰りの飛行機の中で、どうしようかと悩みました。
実は、最初の会社に勤めているときに結婚をし、子供が生まれていたのですが、まだ小さいこともあって、仕事が軌道に乗ったら呼ぶからと、家族を残してフィンランドに行っておりました。
帰国後、妻に起業したいと伝えました。すると起業家である妻の父が「やるなら若いうちにやった方がいい」と理解をしてくれて・・・。娘のことが心配だったと思うのですが「うちに住みなさい」と言ってくれて、幸運にも住むところと食べることを確保した状態で起業することができました。相模大野の義父の会社の一画を8000円/月で貸してもらい、そこでスタートしました。

日下部機械系の仕事を選ばれていますが、もともと学校でも学ばれたのですか?

鎌田工業大学でした。商社のときは、ものを作るのではなく、既存のものを取り扱うだけだったので、商材をみて、もっとこうだったら・・・なんて思っていましたね。それで、やっぱりものづくりがしたいと思い、起業したんです。

日下部それが、今のレボックス株式会社ですか?

鎌田いいえ。そのとき、27歳で、お金もない、信用もない、実績もないで、起業したはいいけど、誰も話を聞いてくれないわけです。周りには無理だと反対されましたが、自分では「そんなことはない、なんでもできるはずだ」と思っていました。
その当時は環境に負荷をかけない商品を扱って、世の中に貢献したいと思い、環境商材を扱う仕事を始めました。
もともと資本金も300万円しかなく、そのうち200万は借りていますから、ものづくりをする資本は無いわけです。やりたいことはモノづくりだけれど、最初から思うようにできるわけではないので、最初は商材を仕入れ販売をするという道を選びました。でも、やはりなかなかうまくいかなくて、それでも稼がないといけないので、最初は営業のフルコミッションの仕事を始めました。
小さい規模でやっているけど、モノは悪くないという商材を扱わせてもらうおうと思い展示会に行き、そこで窓ガラスに貼ると割れにくくなるフィルムがあったんですが、それを扱えることになりました。
最初は実家の窓がよく割られてしまうという悩みがあったので親に送り、その後、不動産屋を回り、カギ屋さんを回り・・・と営業をしていたら、カギ屋さんの方で、“君若いのに面白いね”って言ってくれる方がいたんです。その方は鍵屋の中でも重鎮の方だったようで、僕の紹介だと言えば話を聞いてくれるから、回ってごらんと全国の名簿をくれたんです。それで、鍵屋さんの名簿を頼りに北海道から鹿児島まで日本全国を回りました。
月々20万程度の売り上げだったそのフィルム屋さんは、僕が営業したら、わずか3か月で売上が1500万/月になったのですが、フルコミッションで13%の契約だった自分への支払いが、資金繰りが間に合わず難しいと言いだしたんです。
フィルム屋さんのご夫婦から、月の給料50万で雇用関係になって一緒にやろうと言われたのですが、起業した目的とも違いますし、自分が納得できるものではないので、きちんとコミッションを支払ってもらい、営業用の名簿を渡して縁を切りました。
そのコミッションで、なんとか環境商材を扱えるようになったので、早速ホームページを立ち上げたところ、その頃は環境商材を扱う店が少なく、今ほどホームページも多くなかったので、すぐに検索で上位に表示されました。
商材の中に白色LEDがあったのですが、“夢の光”ということで雑誌にも取り上げられ、大手企業からも問い合わせがくるようになりました。
蛍光灯はマメに取り換える必要があるので、この白色LEDはとても喜ばれたんですよね。それで、この光の世界に入っていったのですが、LEDを扱う企業としては恐らく日本でも3番目くらいに早かったと思います。
看板にLEDが使われているのは今はほとんど当たり前になりましたが、最初にスーパーブランドの看板にLEDを入れ始めたのはうちの会社でした。

鎌田 英洋

最初の頃のLEDは照明としては暗かったのですが、ホームページに掲載していたら「特注品を作れないか」という問い合わせが入るようになり、その最初の注文が看板だったんです。
もちろんやったことはなかったのですが、「やります」と答えて、できる人を探していたら、今の共同経営者にあたる三留と出会いました。それから3~4年過ぎて、今の共同経営の形をつくったのですが、それが今のレボックス株式会社です。要は、元は看板屋だったんですね。(笑)

まさかのリーマンショック。倒産するなら世界一のものを作って倒産しようと思った

日下部淑美

日下部 淑美(くさかべ よしみ)

BODY INVESTMENT代表
フードエリート / 真実の予防医学食研究家 / 管理栄養士

プロフィール

鎌田その頃、あるスーパーブランドのアジア本社が、銀座の数寄屋橋に建つということで、その外壁照明の10億の仕事の受注が決まっていたんです。内心“建築照明屋になるんだな~”って思っていたら、リーマンショックで、その話が無くなり、仕事の受注も急激に減って、倒産寸前までいきました。
その頃、まだ社員は3~4人ですが、社員を食べさせていくという義務があるわけです。「こんな景気の変動くらいで倒産しかかるような会社じゃだめだ。世の中のお役に立っていないということだ」と思ったんです。これでは多くの人を喜ばせていないと気づき、看板は辞めようと決意しました。
ずっと光を扱ってきたので“光”で人の目に変わるものを作ろうと思ったんです。カメラには光がいる。顕微鏡や検査機にも光がいる。この領域の世界はまだLEDの光を使っていなかったので、展示会で説明をしていたら、面白がってくれる大手企業の方から、「こんなものはつくれるか?」と訊かれて、「もちろん全部できます」と答えて、受注させてもらいました。
それから検査機用の照明をつくるメーカーに変わっていったのですが、今では、この領域でトップメーカーになることができました。
電子機器などに用いる検査用の巨大スキャナーがあるのですが、そのスキャナーの照明はうちの技術なんです。
たとえばスマートフォン。これも検査をしますが、検査用のスキャナーにはほぼ100%うちの照明が入っています。機械が人の目では確認できない領域の細かな傷などをチェックするための照明ですが、多くの緻密な商品はだいたい検査工程があり、その際は必ず光が必要になります。

日下部なるほど。いわれてみれば光は確かに必要ですね。日常の中では全く意識のしていないニッチな世界ですが、必要不可欠なものなんですね。それ以外にも、ヘルスケア事業部とアグリ事業部もあるようですが・・・

鎌田ヘルスケア事業ですが、たとえばiPS細胞を培養する場所では、人が安易に出入りできる環境ではないため、特殊なカメラと光を用いて状況を観察できるようにする技術を用いた事業になります。
アグリ事業では、たとえばドローンに特殊なカメラと光を装置すると、人の目では見られなかった生態系を確認できる光技術を事業化しています。光は目に見えない領域もありますから、見えるか見えないかは光が握っているともいえるんですね。

鎌田 英洋

日下部紫外線とか赤外線の世界ですね。これからも光の世界を中心に発展させていくということですね。

鎌田もう一つ、起業家を育てていきたいと思っています。自分のように普通にサラリーマンをしているのは苦しいという人がいる。これからの時代は起業家が増えていく時代だと思いますので、そんな人を育てたいですね。こんな自分でもできたのだから、どんな人でもできると思うのです。

日下部お話を聞いていると、鎌田さんはご縁にも恵まれていたように思いますが、大手企業から看板などの受注を受けるための営業は、どのようにやられていたのですか?

鎌田実は売上が8億円くらいになるまで、弊社には営業スタッフもおらず、営業はほとんどしていませんでした。基本的にはホームページからのお客様で、本当に時代がよかったんですよ。

日下部LEDの取り扱いが早かったことと、ホームページをしっかり作ったことが功を成したわけですね。

鎌田そうですね。看板も全部特注品ですし、すべて問い合わせからの受注生産だったんです。

日下部これだけ世の中に必要とされるものを作り出していけるのは幸せですね。

鎌田創業のときから“世の中の役に立っているか”その1点だったんです。お役に立てればお代はいただける。これはサラリーマン時代にはない感覚でしたね。

日下部一度倒産しかけたとおっしゃっていましたが、その後は順調そうですね。

鎌田そうですね。運はいいみたいですね。当時は社員からも心配されていましたが、「この開発がうまくいけば大丈夫だ」と言い聞かせていました。どうせ作るなら世界一のものを作りたい。倒産するなら、世界一を作ってから倒産しようと思いました。
でも、世界一を作ると情報が世界からくるようになりました。ドイツとか台湾とか様々なところから。展示会で、この製品を発表したときは、韓国から1億円の注文が入り、息を吹き返したんです。

日下部本田宗一郎もいつも社員に「これはなんだ?世界一か?」と社員に言っていたらしいですね。それを意識して世界一を目指していると、本当に世界一ができたそうです。鎌田さん本田宗一郎のようですね(笑)

日下部淑美

鎌田”大手世界ブランドの10億の看板を受注したら、俺はフェラーリを買ってランボルギーニを買って”なんて話を共同経営者としていたら、リーマンショックですよ(笑)。これがあったから、底から這いあがろうと必死になれたというのもありますね。そうでなかったら、ただの看板屋さんになっていたかもしれません。

日下部成功の法則の中でもありますよね。お金があるから幸せなわけではなくで、そのお金を人のために活かす人が幸せを味わえるし、そういう人にお金はまた巡ってくるということですよね。
それを見事に理解し、世の中に貢献する世界一を作り上げたというのは、本当に素晴らしいですね。

技術は人の仕事を奪っているから、起業家になる人を育てていきたい

鎌田 英洋

日下部リーマンショック後、息を吹き返してから順調に増益を維持していくのはかなり大変だと思いますが、何か苦労されたことはありますか?

鎌田ストレスで体調を崩したことがありましたが、食事を気をつけたお陰で減量ができて、ダイエットが成功しちゃいましたね(笑)

日下部食べ物の好みも変わったんじゃないですか?

鎌田そうですね。食べるものを意識するというよりは、ストレスにならないよう、身体に正直に食べることにしています。

日下部病気はいろいろなことを教えてくれると言いますが、何か気付きはありましたか?

鎌田ストレスのときは、会社に泊まり込むような生活が続いているときだったんです。それで生活の仕方、食事の仕方がかわりました。
台湾で腸閉塞になったことがあるのですが、そのときは1か月半、絶飲食だったんです。それで食べ物を食べられることに感謝ができるようになりました。家族と食卓を囲んで笑顔で食事ができること、友達と食事に出かけられることがなんて幸せなんだろうって思いましたね。そういうこともあって、光技術で農業分野にも役に立てるような事業を始めたんですよね。

日下部どの分野にも応用できるんですね。

鎌田そうですね。あまりこういう話は信用されないかもしれませんが、僕はこのときに人の肉体と魂は別物だということを理解しました。人は魂の課題を克服しにこの世に来ていると。

日下部経営者というのは、突き詰めていくとスピリチュアルのほうにいきますよね。人間が素粒子でできているという話にも繋がりますが、目で見えるものよりも、見えないもののほうが大事であるということですよね。

鎌田船井総研の船井幸雄さんをはじめ、ほとんどの経営者の方がスピリチュアルの見えない世界の大切さを追究するようになっています。斉藤ひとりさんの話では、人生は上機嫌でいることを訓練しにきているそうです。

日下部最後にこれからの展望を教えてください。

鎌田起業家を増やすということですね。人工知能やロボット化が益々増えていくため、今の小学生が就職するころには今の仕事の65%が存在しない時代になります。これからは自分で仕事を作っていく時代で、社長一人とスタッフ3人くらいで1億の仕事はできる。僕の会社の技術はある意味、人の仕事を奪っていることになります。だからこそ、起業家になる人を育てたいんです。

日下部それは、起業家塾のようなものをつくるのですか?

鎌田社内起業家を作っていこうと思っています。社内の組織を2つに分け、1つはこの会社の発展に貢献し社内の仕事をしてもらうグループ。もう一つは新しい仕組みを作り、いずれは独立していってもらうという起業家クラスです。これは1~2年で出来ることではないので、10年くらいの単位で考えていきたいと思っています。今年はその起業家クラスとして社員を採用し始めていますので、今後はそれを取り組んでいこうと思っています。

日下部応援しています。本日はありがとうございました。

鎌田 英洋・日下部淑美

フードエリートからひとこと

病気や身体の不調は多くのことを教えてくれます。
身体の不調だけに限らず、仕事でも失敗は成功の素といいます。そこから学んだ人だけが手にすることができる未来があるように思います。経験し学び活かす。それには、他人や環境が原因なのではなく、自分に原因があることを理解する必要があるようですね。
すべては自分次第なのだということを改めてこのインタビューで教えていただきました。

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レボックス株式会社

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代表者:鎌田 英洋

レボックス株式会社

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